桑原聡の私見が面白い

産経新聞に【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】という連載がある。書き手は文化部の桑原聡、なかなかの文化人である。内容だけでなく、今回(21日)が第44回という連載回数など常人には達成困難であろう。今回の題は「人生100年時代に思う」というものだ。青年が安楽死を望む世の中になった、その世の中を分析し、持論を展開している。素晴らしいと誉むべきところは多かれど、「む、む」と思うところもある。後半の持論についても少し視点をずらしてみれば、より立体的に論ずることが可能になるのではないか。

「年金制度は廃止すべきだと私は考えている」

とある。同感だ。人口が現状維持かあるいは増加傾向でなければ破綻する、世代間扶養という考えを、少子化が進んでいるのが明らかになっても考え直さなかった厚生労働省には、基幹統計でのインチキも恥じぬ頭なのだから、年金など担当させてはならぬといえるだろう。そのまま認めてきた内閣・政府の無能の反映とも言えるが。数年前ではなかったか、百年安心などと嘘を叫んでいたのは。厚顔無恥が政治家と官僚の特徴のようだ。

「老後は国に頼らず、自力で生きる。それが無理なら自分の子供に面倒を見てもらえばよい。1人で親を支えるのは重荷だろうから最低2人、できれば3人の子供を育てておきたい。肝心なのは子育てをしながら、老いた親を子供が扶養するのは当たり前という空気を醸成してゆくことだ。同時にこれから建てる家は2世帯が暮らせる間取りを基本とする」

自助努力で老後を過ごす、賛成である。だがそのあとがいけない。自力で老後が送れない場合は自分の子供に面倒を見てもらえばよい、との意見なのだが、そんな願望を持ったとしても子供が面倒を見てくれるなどと考えるのは誤りである。面倒を見るには金銭的サポート、介助、介護、見取りといったものがあるが、現在では中年の子供が親の家で、親に財政的に助けられて生活しているものが多いのが現実である。子供が面倒など見てくれるわけはない。それに、安倍晋三首相が掲げる「一億総活躍」というのは家庭の専業主婦を減らして労働市場に出す政策なのだから、在宅介護を前提とした我が国の方針と正反対のことを推し進めているのだ。家には子供はいない現実をどうする。

子供一人では無理だから23人、と書いているが、家に関しては2世帯住宅だという。悪平等の観念にとらわれた日本人の兄弟3人のうちだれが親と二世帯住宅に住んで面倒を見る?「あの月をとってくれろと。。。」に近い実態として意味を持たない考えのようだ。

考えが浅く見えて仕方がない。教養のある方なのだが。。。、年を取ればどうしても希望、願望という非現実的なものが客観的な考察にまで混ざりこんでくるものではあるのだが。

 

 


教育不足は自身の経験?

この方、教育が足りなかったのかな、と感じる教育論を読んだ。産経新聞(130日)の「解答乱麻」欄への細川珠生の寄稿「文章で伝える教育の重要性」である。とにかく不思議な論理なのである、換言すれば間違っている。次の部分を読んでみてほしい。

「特にAO入試の場合は、前年の9月頃には合否が出ることが多い。一般入試との時期の違いから、入学後の学力にも差が出るという問題はあるが、時期だけを言えば、早くに決まるのは決して悪くないことである」

大学入試に関する合否が早くに決まるのは決して悪くないこと、と細川珠生は書くのだが、どこにもその理由が書かれていない。しかし、続く文章では、早期に合否が分かった高校生が「ただ遊んでいる」無意味な時間を抱えることになるとの悪影響に言及しているのである。細川珠生の文章を確認してもらいたい。

「その場合、大学側から、入学までの期間をどのように使うかを明確に示す必要がある。課題図書や体験に関するリポート提出などを必須とするなど、大学進学の準備につながるような課題を与えるべきで、ただ、遊んでいるだけでは無意味な時間となる」

さて、合格が早めに分かった高校生が遊んでしまうから、大学が入学までの期間の使い方を明確に示す必要があるとは。。。この細川珠生という人の考え方に基本的な欠陥があると言わざるを得ない。

高校生は大学の入試に合格しても「入学予定者」に過ぎず、高校を卒業できなければ合格したとする大学への入学はできない。入学予定者になろうと高校生である、高等学校の生徒であり、高等学校の教育の対象者である。卒業までしっかり教育を施すのは高等学校の責務である。さらに、もし大学などの部外者が何か課題を自分の管理下にない高校生に課し、何らかの事故などにあった時にはどうするのか。浅薄な意見ならしないほうがましなのではないか。教育の不足が大いに目立つ方だ。

後段では日本の教育と米国の教育とが大きく異なることを挙げているのだが、

「少なくとも私自身が知る限り、海外の子供たちは、日頃の授業はもちろん、進学のたびに、自分自身のこれまでの経験やこれから何を学びたいかなどを真剣に考え、それを文章によって伝える教育を受けている。それだけ思考力も鍛えられる。単に語学力の違いだけでなく、まるで違う人間を育てているというのが私自身の実感だ」

を見れば、米国の例と思われるものがいつの間にか「海外の子供たちは。。。」と一般化されてしまっている。こういうものの見方、考察の仕方、結論の求め方は明らかな間違いではないか。もしも親が高名なるがゆえに鍛え方が不十分なままなのだとしたら、二世議員などと同様に、自らを厳しく見つめなおしたほうが良いのではないだろうか。

最終部分の、

「昨今の外交交渉の不振ぶりを見ていると、日本の教育が招いた結果だと思わざるを得ない」

は安倍晋三首相への皮肉なのか。結語の、

「入試に準じた教育にならざるを得ないのなら、高校・大学の選抜の在り方を、もう少し世界標準に近づけるべきである」

の世界標準とは何だろう。Hosokawas世界標準が本当に世界標準であるのかが疑問であるばかりか、そもそもそんな世界標準などあるのかが疑問だ。また教育は世界中で画一的である必要などない。画一的を嫌うがゆえに私立学校というものがあるのであろうに。

なお、本「解答乱麻」の全文は以下で確認願いたい。

https://www.sankei.com/life/news/190130/lif1901300019-n1.html

 

 


園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(176)油田発見予測法を適用しての国内残存ポテンシャル評価

アルプスーロバーツ法、クリーミングモデル、ニュークリーミングモデルの3方法で、新潟、秋田の陸上、新潟ー秋田の海洋、そして北海道での探鉱ヒストリーデータをもとに将来予測を行った。試掘坑数の少ない海洋と北海道ではこの統計データはヒストリーマッチさせるに足る統計量ではなかったため、意味のある予測はできなかった。もちろん予測計算の前に、北海におけるある年次までの探鉱データのみを用いてその後の予測を行った。その結果はその後の実際の探鉱結果とほとんど一致した。すなわち予測法としてのアプリカビリティの検証を行ったのである。

十分な統計量の探鉱ヒストリーデータのある新潟と秋田地域において、予測された発見集積の規模は相当に小規模だった。その結果は、探鉱の終焉期にあることを明瞭に示していた。

石油資源開発株式会社の探鉱部には試掘対象構造の一覧表がその埋蔵量評価付きで存在した。そしてその有望性はAランクからDランクにまで区分されていた。もちろんこの検討を常務特命で行った1998年当時には既にA〜Cランクの構造は掘りつくしてしまっていた。日本国内の探鉱はその当時ですら既に「落穂ひろい」のステージにあったのである。一見してもう探鉱価値のある構造など残っていなかったのだが、探鉱評価費用、埋蔵量、開発費、生産費、輸送費などを想定して未試掘構造の経済ポテンシャル評価を行った。経済性はもちろん油価によって大きく変化するので、油価を倍にした場合なども検討した。その何れをとっても商業性の期待できる構造は見当たらなかったのである。これらの結果を内々に片平常務に報告した。そして、この状況を探鉱関係の幹部社員に秘密会で説明し、国内探鉱の幕を下ろす方策、できればソフトランディングさせる計画を説明するということにした。


石油資源開発株式会社の解体処分

石油資源開発(JAPEX)に展望などないことはこのブログに繰り返し書いてきたことである。「SKはもう終わりだね」(SKとは石油資源開発、JAPEXのこと)という言葉はOBの間で事あるたびに口にされたものである。今般その「終わりかた」を「解体処分」と表現する記事が出た。『選択』の2月号の記事「国策資源会社JAPEXの『解体処分』」である。見出しの右側には「血税浪費した「穀潰し」の末路」なるすさまじい言葉が添えられている。

石油資源開発に将来の展望がないこと、すでに探鉱開発を目的とするアップストリームの会社ではなくなっていること、かといってパイプラインに輸入したLNG気化ガスを通しても販売先が増えるわけではないこと、カナダのPNWからのLNG 引き取り義務量の販売先がまったくもって不足するので行き場のないLNG 気化ガスの消費先(燃焼塔)としてやむなく発電所を建設したこと、北海道の勇払ガス田の埋蔵量を過大評価して無駄設備投資をしたことなどをすでにこのブログで指摘してきた。

しかし、『選択』の記事にはカナダオイルサンドと、PNWの失敗が主たる破綻の原因のように取り上げられている。執拗に繰り返し触れている棚橋裕治への、不満ぶりも考え合わせれば、情報のリーク源は経済産業省なのではないかと想像される。記事が「同社は三十年の会社の利益構成を開発六、非開発四とする目標を掲げた。」と同社の発表した表向きの“計画”に基づいた意見を書いているところからも、石油資源開発の実態を知る内部のものが情報ソースではないように思われる。

石油資源開発の中期計画・目標などがことごとく”画餅“或いは”張子の虎”であったことは歴史、実績が証明している。

相馬のLNG受け入れ基地の稼働の前後の年間のガス販売量はほとんど同じだったように記憶する。つまり、もともとPNWになど参加するとした判断自身が経営ミスだったといえる。加えて無駄発電所の建設、相馬のLNG受け入れ基地建設がPNWFID(最終投資決定)より前に石油資源開発内で決定されたことに対する経営責任を株主は問うべきだろう。よほどの“裏”がなければこのようなことがなされるはずがないからだ。そして現在、その愚かな判断が石油資源開発を奈落の底に落とす結果を招いていることを無視できまい。

カナダオイルサンドは、34年前にすでに私が本社探鉱部海外担当として担当し、「将来性などないので早急に撤退すべきだ」とのレポートを提出していたプロジェクトなのである。カナダオイルサンドに固執し続けた経営判断も誤りだった。それは参加会社が次々に消え去った「振り向けば誰もいない」という事実からでもわかるだろう。

それらの不良プロジェクト(カナダオイルサンド、PNW,相馬LNG受け入れ基地、相馬発電所など)に対する、投資、融資、債務保証などは巨額なはずだ。この状態で監査法人が何もしないなどということは考えられないのではないか。

平成30年度の石油資源開発の通期見通しは、年後半での想定油価を75ドルとして“算出”している。実態とかけ離れた“大粉飾”油価といえるのではないだろうか。実勢油価の推移をみれば、いかに高値想定をしたかがわかるはずだ。通期見通しをプラスにするために油価を逆算で求めたとしか考えられない。そのような見通し、計画という名の”幻”などをもとに議論などすべきではないし、できないだろう。

さて、仙台パイプラインなどのインフラを切り離したうえでの国際石油開発帝石(INPEX)との合併(救済統合)の件だが、仙台パイプラインが本当に売れるのだろうか。東北電力向けのパイプラインのようなものだから、それ以外のガス会社などにとって魅力があるか否か、やや疑問に思う。そして、そのルート沿いには大都市などない。はっきり言えば大口の需要などない田舎を走っているのだ。つまりガスの販売先が目に見えて増える可能性は少ない。まして少子化により日本は田舎ほど産業が衰退していく傾向にある。

もしインフラの切り離しに成功しても石油資源開発にはSKEという掘削会社も、物理計測という坑内検層会社も、地科研という物理探鉱の専門会社もが子会社として存在する。いずれも経営的に苦しいはずだ。不採算部門と多くの従業員を抱える石油資源開発を国際石油開発帝石と統合する案など、株主の大反対を受けるだろう。それこそ血税の新たな無駄になる。

また、国際石油開発帝石自体、その実態は経営危機にあるのではないだろうか。マハカム沖の権益は一昨年末に失っているにもかかわらず、その後の新契約交渉中というだけで何ら公表しないのは、交渉に失敗したことを隠しているのだろうし、オーストラリアのイクシスLNGプロジェクトは商業性などないとみてよいだろう。なにしろトタールが、せっかく国際石油開発帝石から取得した30%の権益のうち4%を、LNGの出荷が始まったところで損切りしてまで国際石油開発帝石に買い戻してもらったほどなのだ。メジャーの一つのトタールが逃げ出すほどということだと思われる。国際石油開発帝石は、現在第二次開発フェーズの入札を実施しているが(現地報道)それの日本国内報道はないようだ。もちろん国際石油開発帝石も口にしないようだ。昨年秋にようやく生産開始したLNGプロジェクトがなぜすぐに第二次開発に着手するのか。先の開発井20坑のうち少なくとも最初の2坑が失敗だったのは世に知られている。状況は埋蔵量不足を推定させるものだ。国際石油開発帝石もまた「血税浪費した「穀潰し」」ではないのか。マイナスとマイナスをくっつけても図体が大きくなる分さらにマイナスが加速増加するだけだろう。そこを取り上げぬのはこの記事の書き手が石油資源開発の社長、会長を務めた棚橋氏(元通産省次官)に対してのような特殊な思いを、国際石油開発帝石に対しては持っていないためであろうか。書き手の姿を想像できる人もいるのではないだろうか。

石油資源開発がボロクソに書かれているが、一つだけ弁護しておこう。通産省、経済産業省の“やりたい”ことのために、例えば五か年計画の補助金支給対象会社として、石油公団の業務づくり、実績作りのための無意味な海外プロジェクトの実施会社としてなど、最初から無理と分かっていたメタンハイドレート”研究”の押し付け先として、石油資源開発が多くの不採算事業に否応なく巻き込まれてきたことを忘れてはならない。日本の石油開発会社が成長できなかったのはかつてOGJ(海外の石油専門誌)が指摘したように経済産業省と石油公団(現JOGMEC)に大きな原因がある。産業を育成すべき経済産業省が産業の発展を阻害した例として長く歴史に名を遺すのではないかと感じる。

付言すべきことがある。現在私のブログ「作家園田豪の筆の向くまま。。。」に毎日曜日連載中の「園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)」で、約20年前(1998年頃)に国内の石油資源開発が保有する鉱区内での石油。ガスポテンシャルを評価し、その時点での探鉱成果の予測を行って、その結果を社内で当時の常務取締役とともに説明し、国内探鉱の終息(ソフトランディング)に向けて行動していた事実を丁度書いている。参照いただくと、石油資源開発の内情が理解しやすくなると思う。潰れる会社には潰れるだけの理由があることが納得できると思う。早く手を打てば救えただけに、個人の昇進、保身、資産のために行動する者たちに経営をゆだねてきたことが残念である。園田豪のブログはこちらからー>http://blog.sonodago.com/

 

 


山上直子の記事にやや落胆。物足りない…

産経新聞(129日)の「大阪特派員」欄に論説委員、山上直子の「日本最古の竹内街道をゆこう」なる記事がある(全文はhttps://www.sankei.com/west/news/190129/wst1901290018-n1.html で)。科学的な雰囲気が見当たらない情緒的文章なのだが、内容にも、文章にも拙さが残るように感じる。まず、

「司馬さんの言葉を借りると、万葉集にも歌われた二上山や葛城山(いずれも大阪府と奈良県にまたがる山)が横たわり、当麻寺の塔がうずもれ古墳が緑に重なり、白壁の農家が点在していたというから、まさに悠久の歴史の舞台」

萬葉集に出てくる山があり、当麻寺の塔や古墳が緑に埋まり、白壁の農家が点在するとそれが何故「まさに」「悠久の歴史の舞台」なのだろうか。そんな風景ならいたるところにある。自分の言葉(文章)に酔うタイプのお人か。

おかしいのは、

「一度聞いただけではなかなか覚えられそうにない長い名前のその道とは」

読んで思わず笑ってしまった。「竹ノ内海道」位一度聞いたら覚えられる簡単な名前だと思うが、ま、記憶力は人それぞれだから…

「おもしろいのは、官道となってからでも1400年以上、使われ続けていることだ」

長い間使われてきたことを「面白い」と表現するのもこの人の感覚の特徴らしい。縄文時代には東北に人口が集中していた。後世に奥州街道と呼ばれた幹線道など何千年も使われてきたと思われるのだが、そういう場合は何と表現するのだろうか。

「実はいまその道の歴史と意味を勉強している。来月24日、東京の一橋大学一橋講堂(千代田区)で、シンポジウム「古(いにしえ)の時代から続く街道浪漫 悠久の歴史を歩く」が開かれるからだ」

この文章自身にもロジック上の問題があるが、それよりも、現在勉強中であるならば、勉強し終えてからこの文を書けば良かったのではないかと感じる。

最後の部分を引用しよう。

「不思議なことに、春分と秋分の日の年2回、太陽は三輪山の山頂に昇り、二上山を越えて大阪湾に沈む。その太陽の軌道を「太陽の道」と呼び、龍の姿になぞらえて「龍の道」ともされた。「日出づる国」日本はこの道から始まったのである」

本人が書いているように勉強が不足なようだ。三輪山と二上山を結ぶ直線が東西線であることは確かだ。だからこそ三輪大社がそこに造られたのであろう。縄文時代の集落、施設などは太陽の方角を測定して設置したものが多い。「朝日のただ刺すところ、夕日の…」との表現が多いことからも分かるだろう。大湯の2つの環状列石を結ぶ直線は、冬至に太陽が沈む方向になっている。古代に普通であったことをとりたてて珍しいことのように書くのは如何なものか。まして、三輪山―二上山ラインは横大路とは位置が異なる。その異なる「太陽の道」にちなんだ如く、「日出ずる国」を表現するのは明らかな間違いだろう。さらにその「日本はこの道から始まった」と嘘をつくのはもっと程度が悪い。こう言ったものの書き方、表現の仕方を教えた大学は相当にレベルが低いと感じる。余りにも稚拙ではないか。

産経新聞の論説委員には資格要件がないのだろうか。


日露首脳会談での北方領土返還交渉は「残念な努力」?!

産経新聞(122日)の「風を読む」欄は産経新聞論説委員長、乾正人の寄稿だ。題は「『残念な努力』は要らない」という。この乾正人、事象に対する鋭い洞察力と正鵠を射た意見が特徴で、それを円熟のウィットの利いた柔らかい表現で纏める、いわば文筆、評論の達人である。

話しの半分以上は「頑張ったからと言って成果が上がるとは限らない」と「残念な努力」の実例などを挙げての説明に費やされる。そして、絶妙のタイミングで、

「政治の世界でも一生懸命頑張ったから、といって結果が出せるとはかぎらない」

と本筋に導入していくのだ。上手い! そして、北方領土の返還交渉に関して、

「戦後の力ある宰相や実力者、外交官が「一生懸命頑張って」取り組んできたにもかかわらず、一歩も前に進んでいない難題中の難題」

と指摘した上で、

「安倍晋三首相が、この問題に誰よりも「頑張って」取り組んでいるのは確かだ」

と、成果が上がっていないことを示す。しかも「頑張って」とカッコつきで、文字通りの頑張りではないことを読者に示唆している。さらに、

この状態で妥結を焦れば、ロシアの思うつぼだ」

と前のめり、つんのめりの安倍首相を牽制しているのだ。そして結語は、

「われわれも首相に北方領土問題で「一刻も早い解決目指し、頑張れ!」とは言わないようにしよう。「ざんねんな努力」をせずとも、ちょっとした余裕と工夫で、遠からずチャンスはきっとくるはずだ」

とある。翼賛新聞筆頭の産経が「正論」欄だけでなく、機会あるごとに、これでもかと言うくらい安倍首相の方針、姿勢に異を唱える現状は、巨大ほうき星の出現、星の離合集散の発生などのように政権崩壊・交代の前兆のようなものなのかもしれない。山崎拓氏の「加藤の乱の再来」なる言葉も、そのような兆候がなければ出てこないのではないか。


自衛隊員が後ろからや、横から撃たれる可能性を排除せよ

産経新聞(122日)の「一筆多論」欄は論説副委員長の榊原智による「韓国は『あちら側』へ移った」である。その冒頭が気になる。

「火器管制レーダー照射や「徴用工」訴訟などで日韓関係は最悪の状態になった」

とあるのだ。最悪の状態になったと言うが、領土を実際に韓国に奪われた方がもっと重要な事なのではないか。続く、

「慰安婦問題、旭日旗の排斥、竹島の不法占拠もある」

を見れば、榊原智にとっては竹島を奪われていると言う領土問題はその他大勢のうちの一つの感覚であることが分かる。この感覚は安倍晋三首相も同じで、北方領土返還に関して数多くの首脳会談を開いたが、竹島返還に向けての韓国大統領との首脳会談なんぞ聞いたことがない。日本の領土を守るとの意識以外の目的で首脳会談を開いていることが分かるだろう。

榊原智はその結語部分で、

「日韓関係や朝鮮半島をめぐる安全保障の基礎構造を毀損(きそん)する動きを韓国がやめない以上、日本は、転ばぬ先の杖(つえ)として、米韓同盟の空洞化または終焉(しゅうえん)を想定した対応策を用意しておくべきだろう」

と述べている。その通りなのだが物足りない。事は米韓同盟の空洞化や終焉の問題ではない。火器管制レーダーを照射すると言うのは敵対行為なのであろう。しつこく、確信的な反日行動を軽く考えてはいけない。

さて、問題は朝鮮半島有事の際の自衛隊の行動である。自衛隊を派遣し、韓国軍と協力させるのか。一言で言って危険である。勿論自衛隊員が、だ。自衛隊員に対し韓国軍が横から或いは後ろから撃ってくる可能性がある。火器管制レーダーを照射してくるような相手の軍隊が友軍であるわけがない。それを通常、敵と言うのである。

自衛隊員の安全のため、日本の安全のために、韓国との軍事協力などしてはならない。半島有事の際には国境を閉鎖し、避難民を受け入れず、人的、物質的支援もしないと心を決めるべきである。もちろん経済交流も低減させるとともに、人質ともなりかねない、在韓日本人の数を減少させておくことも必要ではないか。

なめられ続けて70年、いい加減に目を覚ませニッポン。韓国への迎合一筋の日韓議連など存在意義はないのでは?

 


皇居外苑の楠公像に縁がある

産経新聞は1月11日から「日本人の心 楠正成を読み解く」という連載を始めた。戦前まで忠君報国の模範として称賛されてきた人物である。楠正成についてコメントするのではないので人物像については触れない。今日はその銅像そのものについて書く積りである。

この像は別子銅山の200年の記念にと住友家が作り、宮内省に献納したものである。制作を東京美術学校に依頼したのが明治23年、献納したのが明治33年であるから10年の歳月をかけて作ったものである。その制作に関係するものが親戚プラスアルファとして身近なものなのだ。

当時の東京美術学校の校長は岡倉覚三、つまり岡倉天心である。そして楠公像の図案は応募型で決定したのだが、採用されたのは岡倉秋水のものであった。岡倉天心と岡倉秋水は親戚である。それだけではなく私とも親戚なのだ。岡倉家は元越前福井藩士、主命により横浜で貿易商を営んだ。長女仲が婿養子、寛裕との間にもうけた長女が岡倉富貴であり、それが我が曾祖父、仙台伊達藩士、小野清の妻となった。その曾祖母岡倉富貴の弟が岡倉秋水(覺平)なのである。因みに岡倉天心は曾祖母の母、仲の(腹違いの)弟にあたる。

さて岡倉秋水の描いた下絵だが、当然モデルになった馬がいたはずだ。その馬がどうやらわが一族の馬だったようなのである。話は込み入るが、我が曾祖父、清の弟は仙台伊達藩士の島野家(勘定奉行などをしていたと墓所のある昌傳庵の和尚に聞いた)に養子に入った。そしてめとったのが及川もとと言った。及川家は仙台藩の馬術師範の家である。勿論名馬を飼っていた。その馬が岡倉秋水が描いた下絵の馬のモデルなのだと聞く。

岡倉天心、岡倉秋水、島野家の馬と楠公像とは何重にも縁があるようなのである。

余談を一つ。島野家から小野家に婿養子に入った島野次郎の幼時、荒川の中州で遊んでいたところ、台風の影響か、にわかに増水し中州に取り残された。途方に暮れるとき、荒川の土手に馬にまたがった母、島野もと(仙台藩馬術師範の娘、旧姓及川)が現れ、水量が増え、流れが早くなった荒川にザンブとばかり飛び込み、水馬を以て中州に至るや、「次郎おいで」と声をかけ、次郎の手を取って馬上に引き上げ、そのまま再び荒川を水馬で渡ったという。その馬こそがこの皇居前の楠公像のモデルとなった馬に違いないと思う。

かくして、皇居前の楠公像を見るたびにその話を思い出すのである。


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