沖縄戦後75年、私にも語り継ぐべきことがある(2)

沖縄に米軍が上陸した後は、劣勢の日本軍は米軍に対しゲリラ戦を仕掛けていた。いや、それしかできなかったと言った方が良いだろう。兵站線が途切れたこともあり酒井小隊(小隊としておく)は食料の調達を兼ねて米軍の倉庫を襲撃した。勿論夜陰に紛れてである。襲撃は成功し、多くの物資を手に入れた。中には石鹸だと思って体を洗うのに使ったら、実はチーズだったなどという笑い話もある。豊富な米軍の食料を得て、文字通り味を占め、何度も襲撃に出向くようになったとか。ところがある夜、倉庫に近づいた酒井小隊はは突然銃撃を食らう。逃げてもよけても弾丸が迫ってくる。敵がどうやって日本兵の位置を知るのかが疑問だったと。しかし後にそれが集音機の設置によるものだと判明したとのことだった。とにかく位置を知っての銃撃をすべて交わすことなどできるわけはなく酒井少尉(少尉ということにしておく)は臀部に被弾する。歩行は不可能であり米軍の捕虜となった。

将校である酒井少尉への米軍の尋問が始まった。近年でも中東で降伏した捕虜を、捕虜として人道的に扱うのを避けるために、捕虜として扱わずにグアンタナモ基地で水攻めなどの非人道的尋問を米軍が行ってきたのはよく知られていることである。

酒井少尉に対する尋問も過酷であった。なんと日本兵をタコつぼに埋め、頭だけ出させてそれを酒井少尉の目の前で戦車に轢かせて殺害し、供述を迫ったという。酒井氏はその光景を生涯忘れえないと言った。それでも協力しない酒井少尉は臀部に弾が入ったまま治療もなく放置されたという。暫くして尻に空いた弾丸の穴に蛆が湧いたという。蛆が湧けば助かると言われていた通り助かったがそれは敗戦のおかげであったとのこと。酒井氏の尻には確かの弾傷が残っていた。

占領された日本では、人道的な米軍ばかりが宣伝され、本当の米国人の残虐さは隠されていると酒井氏はあえてこの実話を我々にしたのである。これを聞いた人は沢山いるはずである。今、米国での黒人の殺され方を見るに、酒井氏の経験から75年を経て米国人の本質が変化していないのを感じる。

酒井先生、この話は次世代に伝えました。ご安心ください。58年前に聞いた話だが余りにも衝撃的だったがゆえに今もはっきり覚えている。若き後輩たちにも話してあげたいのだが…

 


コメント
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>

にほんブログ村

selected entries

archives

recent comment

  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(88)人事考課を書き換えさせた石油資源開発人事部
    名無し (10/15)
  • 国際石油開発帝石(インペックス)は経営行き詰まりなのか?それを暗示する現象(2)
    名無し (08/20)
  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(132)ホテル代の踏み倒し
    No use (07/25)
  • 論理の誤り―纏向遺跡と桃の実の年代
    No use (07/24)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    No use (07/24)
  • 『人麻呂の暗号と偽史『日本書紀』〜萬葉集といろは歌に込められた呪いの言葉〜』を電子出版化した
    ふひと (07/11)
  • 国際石油開発帝石のイクシスプロジェクトは「大失敗」?!
    高松 和弘 (06/27)
  • 起きる確率の高い南海トラフ地震の被害額が1,400兆円以上と言うなら
    toshi (06/14)
  • 決裁文書の事後改竄は単なる文書管理の問題ではない
    giinnokoe (06/01)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    名無し (05/28)

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM