『太安万侶の暗号(五)〜漢家本朝(上)陰謀渦巻く飛鳥』の電子出版のお知らせ

『太安万侶の暗号シリーズ』全8巻の電子書籍化を順次進めてきたが、ついに最後に残っていた『太安万侶の暗号(五)〜漢家本朝(上)陰謀渦巻く飛鳥〜』の電子出版化である。内容は従来の政治的にゆがめられた歴史を信じ込んでいる人には驚きのものであろう。単なる小説ではなく併録した「漢家本朝考」「談山神社考」「聖徳天皇考」という3論考で科学的に検討を加えたものであることを強調しておく。その内容はわずかの紹介スペースでは説明しきれないので、同書の「あとがき」の一部を利用しながら紹介したい。なお、福士亜矢子によるカバーにも注目を願いたい。ちょっと鼻を高くしている作品なのだ。

 

和銅五年(七十二)に完成した『古事記』だが、できたという割には大きな欠陥がある。欽明天皇以降推古天皇までの記述が殆どと言ってよいほどないのだ。何時の世でも遠い昔の記録は少なく、最近の出来事に関しては資料も多く、まだ実体験として記憶している者すら存在するものだ。それ故、歴史書は昔ほどあやふやで記述が少なく、現在に近づくほど内容が豊富になるのが自然であり、当然である。しかるにこの古事記の状況は何だ。資料が大量にあるのに書けない。いや、書けない理由があって『書かなかった』というのが実態だろう。養老四年(七二十)に完成した『日本書紀』には欽明天皇以降を詳細に記述している。たった八年の間に資料が飛躍的に増えたなどということがある筈はない。古事記と日本書紀の間の八年間は、歴史のシナリオ作りの期間だったと考えるのが一番妥当だ。つまり欽明天皇以降は特に「作られた歴史ストーリー」を軸に記述されたとみてよい。(『古事記』序文と内容の齟齬から『古事記』にはオリジナルと修正版の二つがあったはずだ。この件は『人麻呂の暗号と偽史『日本書紀』〜萬葉集といろは歌に込められた呪いの言葉〜』に詳述した)

日本書紀の持統天皇五年(六九一)には、

「八月己亥朔辛亥、詔十八氏大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇、上進其祖等墓記。」

との記述がある。日の本系と思われる十八氏族にそれぞれが持つ氏族の歴史書を提出させた。これらの墓記を氏族に返還したとの記録はなく、またいずれも、逸文さえ存在しない。漢家本朝に都合の良い歴史を作り、残すために有力氏族の伝える歴史を消し去ったのである。これが日本版焚書の初めである。

「漢家本朝」は併録した論考、「園田豪の『漢家本朝考』」に詳しく書いたが、明治政府の皇国史観といういわば政治的国民洗脳のために不都合だとして意図的に隠されてきた言葉である。それも足利尊氏の有名な「建武式目」、つまり当時の公文書に明記されている言葉である。それが現在に至るまで誰も触れぬタブーのように、隠され続けている。中世の歴史を専門とするものがこの建武式目を知らぬわけがない。恐らくは知っていながら知らぬ振りをしているのだろう。歴史を科学として取り扱えない歴史屋の限界がそこに見えているようだ。そんなことをしていたら歴史屋の言うことなど信用がなくなるだろうに。考古学屋さんの旧石器遺跡捏造も日本の考古学の信用を落としたが、歴史屋さんの資料隠蔽も科学からはほど遠い世界であることを示している。

もう一つ重大な焚書の存在を教えるものがある。北畠親房の『神皇正統記』を「漢家本朝考」で引用しているが、その中に「異朝の一書の中に、「日本は呉の太伯が後なりと云ふ」と云へり。返々(かへすがへす)当たらぬことなり。昔日本は三韓と同種なりと云ふ事のありし、かの書をば桓武の御代に焼き捨てられしなり。」

「日本は呉の太伯の後なり」との記述が異朝、つまり外国の書の中にあると言っている。呉の太伯も中国人だから、その記述の内容は「漢家本朝」と同じだ。(漢家は狭義の漢ではなく、中国という意味で使われていた。漢籍、漢字と言った言葉から理解できるだろう)

「昔日本は三韓と同種なり」と記述した書はそのままにしておいて、「日本は呉の太伯が後なり」と書いた書は何と、桓武天皇が焼き捨てたと、神皇正統記に北畠親房が明記しているのである。「持統の焚書」ほど大規模ではないが「桓武の焚書」と呼ぶべきものがあったのは確実に思える。

では、「昔日本は三韓と同種なり」と記述した書は焼き捨てず、「日本は呉の太伯の後なり」と記述した書だけを焼き捨てたのはなぜか。その心は、建武の式目の「漢家本朝」を隠して置こうとする明治政府以来今日までの対応と同じであろう。即ち「漢家本朝」であることを隠そうとの行為だと思われる。

だとすれば、それは何故、との新たな疑問がわく。それは、本当に中国系渡来民が倭国の政権を奪取したからに他ならない。

仏教伝来の時期は百済の聖明王が仏像、経典を倭国に奉じた時とされている。五三八年または五五二年と言われる仏教公伝だ。だが応神天皇の時から秦の一族が、漢の一族がそして継体天皇のときには北魏の一族が集団で渡来し、帰化している。その数は欽明天皇元年二月に「秦人、戸數總七千五十三戸、以大藏掾、爲秦伴造。」とあるから、一戸四人と仮定すれば全体で約三万人となる。

これだけ多くの中国からの渡来人が仏教を持ち込まなかったはずがない。仏教伝来は全て朝鮮半島からという先入観が目を曇らせているように感じる。中国系渡来人が伝えたという事実を消すために、むしろ朝鮮半島からの伝来の事実を記録に残すという「洗脳策」をとったのではないかと思う。

北魏は道教の国であった。飛鳥時代以降における道教の影響は凄まじいものがある。皇極天皇、斉明天皇の道教“狂い”は際立っているが聖徳太子や後の律令制に至るまで仏教よりもはるかに道教の方が重要視されていたと感じられる。聖徳太子の名前「耳」が道教の祖、老子の名前と同じであることも当時の状況を強く暗示する。詳しくは別の論考で纏めるつもりだが、「天皇」という言葉の由来、寺院の北魏様式、法隆寺の建築上の特徴、北魏起源の均田制、冠位十二階の最高位は徳であること、陰陽寮を設けたこと…などなど、北魏と道教が飛鳥以降の朝廷の背骨になっている。それなのに北魏と百済にはほとんど交渉の事実がない。北魏様式などが百済から伝来するわけがないのだ。

そしてどうやら政権奪取に成功した北魏系渡来人は、その事実をわからなくするために既存の歴史書を焼き、歴史そのものを消し去り、自分たちに都合の良いストーリーを考え、それに基づく歴史書を編纂したらしい。しかし、完全な偽歴史では自分たちも政権奪取の歴史が分からなくなるから所々に矛盾点などの形でヒントを組み込んだ。それが「太安万侶の暗号」と筆者が呼ぶものである。恐らく本当の歴史を残すための口伝が伝承されていたに違いないだろうがすでに伝承者は存在しないようだ。しかし、口伝を書きとめた者がいたかもしれない。何時かそんなものが発見されないとも限らない。伊勢神宮が所有する文書を公開しないように、隠された歴史資料はまだ多く存在するのではないだろうか。宮内庁も多くの資料を収集、所有している。

本書では北魏系の渡来者、元大拓が構想し、数代が受け継いだ、壮大にして遠大な倭国奪取の企みを背景に、様々な事件が起きていく様を描いている。「漢家本朝」成立への流れを理解すれば飛鳥、平城、平安時代の歴史は理解しやすくなる。政治的意図をもった教育で植えつけられた先入観を排せば、歴史はその姿を歪みのない形で眼前に現わすだろう。お楽しみいただければと思う。

北魏系渡来人たちの本当の歴史は隠されたままだ。藤氏家伝など、真実を隠した表向きの創作話のように見える。拓跋部なのに泰氏の如く繕い、中臣の姓を盗用し、高向の姓も別の家系として扱っている。その系譜は正確には解き明かせない状況にある。


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