片平忠實氏を悼む

突然友人から石油資源開発株式会社の元副社長、片平忠實氏の訃報が届いた。昨年1118日に逝去なさったそうである。私より16歳の年上だから87歳だったはずだ。パワハラ、モラハラに苦しめられた石油資源開発勤務だったが、その中で何人かの人に助けられた。片平さんはそのうちの一人である。以下に片平さんの思い出を書いてお悔やみの言葉としたい。

初めてお目にかかったのは入社して吉祥寺に在った技術研究所の航空写真地質研究室に配属になった時の事である。老田紘一氏という、まじめで仕事熱心な、尊敬すべき指導者の下で社会人の第一歩を踏み出したのだが、その研究室の主任は本社(大手町ビル)探鉱部次長の片平忠實氏が兼務していた。当時は「鬼の片平」と異名をとる、精悍ないかにも“男”と言う感じの人だった。

その”鬼”の優しさを発見したのは最初の北海道岩見沢の地表地質調査に出かけた時である。指導に来ていた片平氏が人夫が連れてきていた犬の足を誤って鉈でわずかに切ってしまったときに「ごめんよ、ごめんよ、痛かったか?大丈夫か?」と言いながら犬の足をのぞき込み、頭をなでている姿を見たのである。犬にあれほど頭を下げ、心配する人を初めて見た。見かけによらず、何と優しい人なんだ、と感じたのである。

京都大学を卒業して旧石油資源開発に入社し、石油資源開発草創期の国内石油探鉱に参加した。京大閥で固まっていた探鉱部に於て将来を約束されていた人でもあった。(学閥の力は顕著であり、逆に京大卒でないものは”外回り”専門なんてこともあった)

そのフェアウェイを真っすぐに、という片平氏が壁に当ったのはコンピュータージオロジーなる“まがい物”を否定したことが原因であった。石油開発公団石油開発技術センターに入社間もなく出向させられ、そのコンピューター地質を担当させられ、扱って見て、「こんなものクソ役に立たない」ことを説明する研究論文をまとめ、公表しようとしたときに、私は通産省から出向してきた業務課長に、コンピューター利用促進の役所の方針に反するからと発表を禁止された。(当時の畠山副所長から「主張は理解できるし賛同するが、君の将来のために良くないからあきらめたほうが良い」と説得されたことなど当時については「園翁自伝」に書いている)

石油公団の鯨岡(理事?)というコンピュータージオロジー推進派ににらまれ、聞いた話では「片平を首にしろ」との圧力が加わったという。

そういういきさつの結果であろうが片平氏は南スマトラ石油開発というインドネシアのプロジェクト会社に出向となった。(私が潰れかけていたジャペックスオマーンに出向させられたのと相似形である)

先の石油開発公団の鯨岡氏が石油資源開発に天下って常務取締役となったのだから片平氏の会社での道は閉ざされたかに見えたのだが、人生は分からないものだ。その鯨岡常務が舌癌で亡くなったのである。そして探鉱担当役員を生産屋の矢部孟氏が兼務することになる。その矢部孟氏が片平氏を探鉱部長で石油資源開発に戻したのである。矢部孟氏は絶対服従するものを引き立てる。時流のコンピュータージオロジーに反対した反骨の士、片平はその時点で反骨精神を封印し、矢部孟氏に服従したように思える。なぜならそれ以前の片平氏とは全く異なる片平氏に変わっていたからである。

サハリンに6年、オマーンにまた6年と追い出されるたびに油ガス田を発見、開発した私が本社に戻った時に、北海道勇払の評価開発検討チームのリーダーにしてくれたのは片平氏である。国内探鉱の終焉を見越し、残存鉱量と経済性の検討を私にさせ、その結果、国内探鉱を収束させるとの探鉱部の方針を纏めて幹部社員に説明を実施できたのも、片平氏の依頼に基づくものであった。片平氏の先見の明と、会社の将来、特に探鉱関係者の先々の人生をも考える姿勢に私は敬意を今も抱いている。望むらくは独裁者のいない環境で思う存分の活躍をしていただきたかった。さすれば現在のような石油資源開発にはならずに済んだと思っている。

さて片平氏は静岡県庵原郡の、つまり清水の少し東の山に入ったところの村の出身である。清水(東?)高校から京都大学に進学したと記憶する。時折というか屡々静岡方言が口から洩れた。実は私も静岡県人である。そこである時社内で静岡県人会を作ろうということになり、片平氏に会長になっていただいて活動した。資格は静岡県に縁が強く、静岡弁を話せることとした。県人会では「やっきりする」「おぞい」「ごせっぽい」などの方言が飛び交う愉快な時間を共有できた。

私は矢部孟氏に一度も膝を屈することなく接した。だから早期退職し現在に至っている。会社人生としては地位的にも経済的にも恵まれたとは言えまい。しかしその結果、現在の充実した人生があるのだ。片平氏は違う道を選んだようだ。副社長にまで上り詰めた。私は個人的には、片平氏にはあの30代の「鬼の片平」の儘に野太く、豪快にそして知的に石油開発業界を引っ張って行ってもらいたかった。そしてその方が片平氏自身にとって満足のゆく人生だったのではないかと思う。

『お前は、本当に会社を辞めるのか…』と最後にお目にかかった折に呟きながら私を寂しげな目で見つめたその目を、今もはっきりと覚えている。

書きたいことは山のごとくあるのだが、それは叶うまい。私の人生に於て片平氏との出会いは特筆に値することだった。遠く仙台の地からご冥福を祈りたい。

ご遺族の方の連絡先も存じ上げず、直接お悔やみの言葉も申し上げられないことが残念である。片平さん、いや、片さん、ありがとう!

 


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