犬の家族が人間だと誰が決めた?

またもや「嗚呼、山上直子!」と溜息をつく。産経新聞(1126日)の「大阪特派員」を読んで、だ。大阪のフォトジャーナリストだという児玉小枝が書いた本の内容の紹介から始まる。

「著者が出会ったのは、おぼつかない足取りで犬房(けんぼう)の中を歩き回る、高齢の13歳のチワワだった」

とあり、その出会ったときの様子を、

「その子はふるえていました。(中略)ただただ途方に暮れながら、時おりクーンクーンと哀しい声で泣くのです」

と記述しているとのこと。

高齢の13歳の犬を「この子」と呼ぶところに既に犬を見る冷静さのないことが表れている。そこに見えるのは人間が犬の庇護者であり保護者であるとの驕りである。真の動物愛好家ではないな、と感じた。本当に動物を愛する者は、動物に動物として誇りをもって自立して生きることを望むはずである。

「なぜあと少し、家族の一員として最後まで看取ってやれなかったのか−。「老犬たちを殺しているのは、施設の職員さんではない。彼らの命に対する責任を放棄し、彼らを捨てた、飼い主自身だと私は思います」という」

元々犬は家族の一員ではない。飼い主がそう思っているだけだ。本当に家族なのであれば、犬が自然の中で恋をし、家庭を持って一生を送ることを願うのではないか。一生、自由に生きることができず、悪く言えば捕らわれの身で終わるのである。人間に飼われることが一番の不幸であるとは思わないのだろうか。

餌をもらえれば幸せか。マムシは餌を与えても食べないそうだ。自分で捕獲した餌以外を拒否して、死を選ぶそうだ。私も犬を飼ったことがある。地方大学に進学したため帰る機会は多くなかったが、たまたま帰省した時にあたかも待っていたかのように私の腕の中で死んだ。私は今も飼うんではなかったと感じている。自分が自由に生きたいようにあの犬もきっと自由に生きたかったろうに、と思うのだ。

「すべての老犬が家族の愛に見守られながら、心穏やかにその生涯を終えられる日本にいつかなりますように」

との言葉を引用して結びの代わりにしているのだが、それが犬の幸せか、との疑問を山上直子は全く持っていないようだ。この件に関して、自らの意見・見識をお持ちではないかのようである。コピペだけでは論説ではあるまい。そしてそれでは論説委員の名に値しまい。

 


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