三国丘高校の同窓会(同期会)に出席した、卒業以来初めて

私は父の転勤のために小学校1年生の2学期から三国丘高校を卒業するまでの約11年間を大阪で過ごした。最初に住んだ八尾市山本での記憶はほとんどない。それ以前の幼稚園時代の記憶がしっかりあるにもかかわらず、であるのだから八尾への環境変化が如何にショックであったのかが推察される。2年生の時堺の三国丘小学校に転向した。地獄を脱したというか、虎口を脱したというか、まだ二部授業が行われているという状態であるにもかかわらず、精神的にはるかに楽になったのを感じた。私にとっては河内の八尾と泉州堺とはまるで異国のように異なるところだった。その後東三国丘小学校、三国丘中学校を経て三国丘高校(旧制大阪二中、堺中)を卒業した。53年前のことである。

この8年間ほどは仙台に一人で暮らし、古代史の研究と執筆だけに集中してきたのだが、そろそろ仙人をやめて山を下り里に出て真の歴史の啓蒙活動もしようと考え、卒業以来初めて東京での同期会に参加したのである。1115日の昼、銀座並木通りの三笠会館に34名が集った。全員がほぼ71歳なのだが、個人差が大きいのだろう、更けたのやら若々しいのがいる。女性参加者は総じて若い。三国丘高校はエリート校である。その卒業生だけに一部の例外を除いて皆品が良い。

私が参加すると聞いて、東京での会にもかかわらず大阪方面からわざわざ参加してくれた人も何人かいた。圧巻は飛騨高山から遠路駆けつけてくれた中野ひろ子さんだ。50余年の歳月を越えての再会に嬉しさを感じた。あのどちらかと言えばやぼったい制服の中野ひろ子さんが素敵な笑顔で話しかけているかのように感じた。みんな、ありがとう。(特にお土産までくれた人たちに感謝〈笑〉)

会の後、向かいの喫茶店で「私を囲む会」のようなものまで開いていただいた。ご参加いただいたみんな、ありがとう。語りつくせなかった話はいつか折があれば。振り向いたことのなかった波乱万丈の人生、時折立ち止まって振り向くことにしよう。

その後のやり取りを含めて印象的だったのは、海外に居住してみて日本のことが分かると言うが、大阪の中でずっと暮らしてきた人が確かに「大阪と、大阪人を知らない」ということが再確認できたことだった。地域スタンダードが世界、いや日本スタンダードでもないことを若い人に気づかせなければならないと感じた。

(昨日添付するつもりだった『太安万侶の暗号(二)〜神は我に祟らんとするか〜』電子版のカバー写真)

 


コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< January 2020 >>

にほんブログ村

selected entries

archives

recent comment

  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(88)人事考課を書き換えさせた石油資源開発人事部
    名無し (10/15)
  • 国際石油開発帝石(インペックス)は経営行き詰まりなのか?それを暗示する現象(2)
    名無し (08/20)
  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(132)ホテル代の踏み倒し
    No use (07/25)
  • 論理の誤り―纏向遺跡と桃の実の年代
    No use (07/24)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    No use (07/24)
  • 『人麻呂の暗号と偽史『日本書紀』〜萬葉集といろは歌に込められた呪いの言葉〜』を電子出版化した
    ふひと (07/11)
  • 国際石油開発帝石のイクシスプロジェクトは「大失敗」?!
    高松 和弘 (06/27)
  • 起きる確率の高い南海トラフ地震の被害額が1,400兆円以上と言うなら
    toshi (06/14)
  • 決裁文書の事後改竄は単なる文書管理の問題ではない
    giinnokoe (06/01)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    名無し (05/28)

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM