加地伸行、知識はあるのだが知力が…

毎回、井の中の蛙的な、狭量な世界での思い付きを披露する加地伸行の「古典個展」が今回も産経新聞(1028日)に載った。題は「ノーベル賞 祝詩を贈る」というものだ。新聞の一面のコラムに個人の漢詩などを載せるところに常識の世界に生きてこなかった特殊性を見る。自らを公と思えばこその公私の判断なのだろう。大昔の学者にはママ見られたタイプに感じる。

主題はノーベル賞を受賞した吉野彰氏に関することだ。

「今回の受賞は基礎理論研究ではなくて、応用開発研究に対するものであった。分かりやすく言えば、大学の学部としてみると、理学部系(基礎理論研究中心)でなくて、工学部系(応用開発研究中心)」

吉野氏ご本人は「私はインダストリーの人間です」と強調していた。理学系と工学部系の区別ではなく、官ではなく民の人間だと主張していたのである。加地伸行の頭の中には官と公が大きな領域を占めていると感じられる。頓珍漢とは言わぬがズレているのである。

「今の時代、官だの民だのと言うのは時代遅れ。最も求められているのは優秀な研究者なのである。積極的に〈民〉の中の優秀な研究者を高く評価し抜擢(ばってき)してゆくべきであろう」

の部分からは、官が偉くて民は劣るという感覚が明瞭である。官の民のは時代遅れとしながらも、民の優秀なものは(官に)抜擢してしていくべきだというのだから。自ら時代遅れとしたことに正に自身が当てはまるという情けないことになっている。それは続く文からも分かる。

「ふっと頭に浮かんだのは、「野(や)に遺賢(いけん)無からしむ」(『書経』大禹謨(だいうぼ))という名句であった。こういう意味。民間(野)の優れた人材(賢)を野に残したまま(遺す)であってはならない。どんどん表舞台(官)に抜擢することだ。それができないのは劣った社会である」

官だけに生きた、専門家だから民の事と、民に生きる人間の思いが理解できないのであろう。繰り返すが「私はインダストリーの人間です」と言った吉野氏を、官に抜擢すると言ったら喜ぶとでも思っているのだろうか。「私は民の人間、すなわち国立大学などの官の研究者ではありません」という民間のプライドこそ理解すべきだろう。

知識はあれど知力がないと評した所以である。産経新聞の、伊奈かっぺい氏の「綴り方教室」の言葉を借りて、「”老い“大丈夫か?」と呼びかけてみる。

 


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