園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(196)ジャカルタ

ジャカルタに赴任した。駐在員は公手所長、アドミのマネージャーが室園、部下が大西、エクスプロレーションマネージャーが私、部下が村山(物探)と近藤(探鉱)の総員6名だった。

さてインドネシアのジャカルタだが過去に2回出張できていた。最初は1978年である。石油開発公団の調査団の一員としてオーストラリア、パプアニューギニア、マレーシア、インドネシア、シンガポール、香港を回った時に立ち寄ったのである。ジャカルタ市内に高い塀で囲まれたチャイナタウンがあったり、現在とはずいぶん様子が違っていた。インドネシア石油の長坂所長に種々お世話いただいたのを記憶している。ボゴール植物園や分チャック峠などを訪問し、夜は現地のレストランで、「シン シン ソー」という歌をリクエストして聞いたり、まるで観光一色だった。政府系の海外調査団というものの実態を初めて知った。ちなみに「シン シン ソー」という歌はかつてスマトラ島メダンの軍政長官をしていた父に教わったものだった。

2回目の訪問は1988年に石油開発公団主導のINOCOプロジェクトという融資買油型(まともな石油開発プロジェクトではない)のプロジェクトの失敗の受け皿として無理やり作ろうとしたポスト・イノコプロジェクトのためのデータインスペクションにかかわる出張だった。この時はインドネシア石油本社に戻っていた長坂氏が参加していた。つまり2回のジャカルタ訪問両方で長坂氏にお世話になったのである。不思議なご縁だったと感じる。

さて今回はジャカルタ訪問ではなくジャカルタ駐在だった。ワークパーミットを取得したり、住宅を探したりをしなければならず、しばらくの間はホテル暮らしになった。

 


コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>

にほんブログ村

selected entries

archives

recent comment

  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(88)人事考課を書き換えさせた石油資源開発人事部
    名無し (10/15)
  • 国際石油開発帝石(インペックス)は経営行き詰まりなのか?それを暗示する現象(2)
    名無し (08/20)
  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(132)ホテル代の踏み倒し
    No use (07/25)
  • 論理の誤り―纏向遺跡と桃の実の年代
    No use (07/24)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    No use (07/24)
  • 『人麻呂の暗号と偽史『日本書紀』〜萬葉集といろは歌に込められた呪いの言葉〜』を電子出版化した
    ふひと (07/11)
  • 国際石油開発帝石のイクシスプロジェクトは「大失敗」?!
    高松 和弘 (06/27)
  • 起きる確率の高い南海トラフ地震の被害額が1,400兆円以上と言うなら
    toshi (06/14)
  • 決裁文書の事後改竄は単なる文書管理の問題ではない
    giinnokoe (06/01)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    名無し (05/28)

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM