産経新聞の『万葉賛歌2』にも疑問が

『万葉賛歌1』について書いた時にも指摘したが、『万葉集』の歌について書くのだから、原文を載せるべきだろう。読み下し文は読み下し文でしかないのだから。さて『万葉賛歌2』では歌番8の額田王作とされるものである。産経新聞には

 

熟田津(にきたつ)に船乗(ふなの)りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出(い)でな

 

とあるが、『萬葉集』では、

 

熟田津尓  船乗世武登  月待者  潮毛可奈比沼  今者許藝乞菜

 

である。今者許藝乞菜の読みについては異論もあるらしい。乞を「いで」と読むことには確かに疑問が残る。

それはさておき、産経新聞(613)では、

「別掲の歌はこの遠征(百済支援のための大軍を尽くしに集めた)の途中、(斉明天皇が)滞在先の石湯行宮(いわゆのかりみや)(松山市の道後温泉付近)を出発するおりに、額田王(ぬかたのおおきみ)によって歌われた名歌である」

と書いている。これは『萬葉集』の歌番8の左注(右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁<>十二月己巳朔壬午天皇大后幸于伊豫湯宮 後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔<>寅御船西征 始就于海路 庚戌御船泊于伊豫熟田津石湯行宮 天皇御覧昔日猶存之物 當時忽起感愛之情 所以因製歌詠為之哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首)によっただけでその信憑性の吟味をしなくてはならない。

渡辺裕明はこの歌を「名歌である」と言い切るのだが、感性の違いとはいえ私にはそれほどのものには思えない。渡辺もなぜ名歌なのかには全く言及していない。そして直木孝次郎の論文を引いて、

「瀬戸内海特有の陸風(海に向かう風)が吹き始める夜を待って出航したというのだ」

と書いている。

月を待つのは夜を待っているのではない。月に関係した潮の動きを待っているのである。当時の船は平底だったから岸壁ではなく砂浜に乗り上げる形で停泊したようだ。そのため出港するには停泊時と少なくとも同じ潮位が必要だったのである。また、航海というものは危険回避の面から、可能な限り昼間、陸が近くに見える状態で行ってきたものである。まして瀬戸内海は島が多く、潮の流れが複雑で急変もするので夜間の航海などできなかったはずである。実際に筑紫の那の津から浪速までの船での往復には1か月以上を要していたのではないか。そしてさらに不思議なのは、

「何より疑いないのは、この出航が緊迫感にあふれていたことである。石湯行宮での滞在自体、約2カ月にも及んでおり、軍勢の確保にも難航していたのだろう。歌には、ともすれば不安に駆られがちな兵士らを鼓舞し、奮い立たせる意味あいが込められていた」

としている点である。左注から緊迫感がある状況だと思い込み、その思い込みに満ちた目でこの歌を解釈したとしか考えられない。口語訳「熟田津で船に乗り込もうと月の出を待っていると、潮も、船出にちょうどよくなってきた。さあ、今こそ漕ぎ出そう」のどこに、「兵士らを鼓舞し、奮い立たせる意味あい」があるというのか。青いガラスを通して見れば青く、赤いガラスを通して見れば赤く、景色というものは色がついて見えるものであろう。いかにもsubjectiveな文学屋の世界を見た気がした。

『萬葉集』の巻一と巻二の全234首の再解読をした拙著『萬葉伝授』(Arakahi Books、電子書籍、アマゾン)に詳細を記している。誰かの「読み下し」という『2次的萬葉集』ではなくオリジナルの歌に興味のある方には、難解ではあるが参考になるかもしれない。

(写真は韓国の扶余にある、百済船を模した観光船、筆者撮影)

 

 


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