憲法制定時に存在しなかったから憲法に規定がない、それは間違いだよ、阿比留瑠比君

産経新聞の「極言御免」欄といえば私が「曲言御免」欄だと呼ぶほど誤りや強弁に溢れる阿比留瑠比のコラムだ。530日の記事の見出しは、「自衛隊に甘えすぎではないか」というもの。安倍官邸の隠れ宣伝係(実際には”隠れもなき“だが)の阿比留瑠比の記事だけに、安倍晋三首相の憲法への自衛隊明記の応援記事なのだろう。そんな性向は百も承知だからその宣伝行動には触れまい。今回はロジックについてコメントしたい。

自衛隊の創設は昭和297月に行われた。近年の内閣府による世論調査(政府統計に捏造が発覚することが多いので、この政府による世論調査の信ぴょう性には注意が必要である)ではきわめて多くが自衛隊を高評価している。このことを指摘した後阿比留瑠比は次のように書いている。

「これほど国民の信頼の厚い組織が憲法で位置づけられていない。勿論、現行憲法の施行時(昭和225月)には自衛隊は存在しなかったのだから、当初書かれていなかったのは当然である」

この文章に阿比留瑠比の限界を見る。国民の信頼の厚い薄いと、憲法のおける記載の有無は異なる次元にある。「お若けぇの、お待ちなせぇ」というセリフでは不足だろう。いうまでもなく現行憲法は日本が軍事強国にならぬようにとの目的もあって制定させたものである。形は明治憲法の改正であっても実態が押し付けであったことは明らかである。その目的から日本が決して再武装できぬように憲法は書かれた。戦力の不保持や戦争放棄条項がこれに該当しよう。「その時に自衛隊がなかったから憲法に書いてない」など小学生に笑われる愚かな言い訳ではないか。どうせなら嘘ももっともらしいものにすべきだ。これが新聞記者なのか?

私自身は58年前の、中学生、13歳の時に『日本国憲法失効論』を読み、それに刺激され、「憲法調査会報告書」も拾い読みした。そして憲法は全面的に書き換える、つまり新憲法的なものを作り形だけは現行憲法の改正手続きで済ますのが良いとずっと考えてきた。

国家の軍事力は、個人の正当防衛の権利という基本的人権と同様の基本的権利であろう。戦力不保持条項をそのままに、軍隊たる自衛隊を憲法に併記するなどという、自己矛盾を抱えた憲法改正という姑息なことなどをせずに正々堂々正面から全面的に変えるべきである。

何やら財務省の決裁文書の決済後改竄と似たにおいを感じる。同じ安倍政権下のことなのだからそうなのかとも理解できるが。

 


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