園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(192)山手線にも内回りと外回りが

石油資源開発の探鉱関係者の親睦会があった。地質屋の会だからというので「地友会」と称していた。本社だけではなく、地方鉱業所、海外プロジェクトのものまで正会員ではなくても“準会員”としていた。事務局は本社探鉱部総合課である。転勤に伴う歓送迎会が多かったが、年一回の忘年会なども扱っていた。そして忘年会にはOBの参加を呼び掛けていた。さらに退職者に対するお別れの会やお偉いさんの還暦の会なども行われた。

さて生産部開発課という他部に所属して定年を迎えた相馬さんという方がいた。めくってもめくっても「温厚と書いたページ」といった感じで、その温厚さ、人間の温かさが際立った方だった。その相馬さんが退職するとき、片平常務から「相馬の送別会を計画せよ」との指示が来た。総合課長である私の役目である。すぐに相馬さんに会ってその計画につき話した。しかし相馬さんは首を縦に振らなかった。最初は「そんな心配は無用に願います」というものだったのだが、「相馬を説得してこい」との常務の指示で何度が説得に行くうちに相馬さんから、遠慮しているのではなく嫌なんだと聞いてしまった。

「僕は本当はそういうことをしてほしくないんだな。ずっと探鉱部ではなく生産部にいたんだよ。僕の気持ちはあなたなら分かるでしょ」

相馬さんの気持ちはよく分かった。私も入社以来、出向に次ぐ出向、それもほとんどが海外プロジェクトだった。社内には本社でのうのうと生きていくものと出先で身を削る思いをして生きているものとがいたのである。そしてその扱いは継続的だった。

或る年の忘年会でスピーチを求められた、同じく出向ばかりだった久代さんは「山手線にも内回りと外回りがありまして…」と嫌味を込めたスピーチをした。

「相馬さんの気持ちは痛いほどわかります。私が常務に上手く話して送別会をしない方向にもっていきます」と答えた。

その片平さんが副社長の時に私はなんと資材部長にさせられた。しかし探鉱部(地友会)は何もしなかった。それだけではない、私が退職するときも探鉱部(知友会)は送別会をしなかった。してほしかったわけではない。しかし、相手によって態度も規則も慣習も変えるその態度には嫌悪感を覚えた。探鉱関係で私的に送別会をしてくれたもの数人には直接会って話す機会はないのだがとても感謝している。お誘いを受けて個別に食事をしたのは岡部副社長と棚橋会長だけだった。資材業務関係では2企業が送別会を開いてくれた。

多くの例を見てきたが石油資源開発の人事は公平ではない。準社員制度という女性不遇策をとっていた会社だというところにもそれは表れている。「なでしこ銘柄に」などと聞いても「ふん!」というだけである。心のこもらない、看板など意味がない。

 


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