園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(190)「ゴルフをやってくれないか」と常務から

私とゴルフの出会いは静岡大学に入学して、教養課程にある時のことだった。大学と言えども体育の時間と言うものがあったのである。担当の指導者は平沢弥一郎と言う人で、足の裏の研究で著名な方だった。体育の内容が愉快だった。社交ダンスとゴルフを覚えている。社交ダンスと言っても習ったのはワルツのみ、ボックスとリバースの稽古をした。ゴルフはドライバーのみ、だからアイアンもパターもよくわからない。

石油資源開発に入社してからも、研修が終わったら、石油公団石油開発技術センターに2年半の出向、自分の会社に戻ったと思ったらたった4か月いただけでサハリンの石油開発のプロジェクト会社に出向6年の現地勤務、石油資源開発の探鉱部海外担当に戻って3年在籍したら今度は中東のオマーンの石油開発を6年出向して担当した。ソ連時代のサハリンにゴルフ場などなかった。自由に散歩することすらできない環境だったのだからゴルフなどどこかよその国の話だった。中東のオマーンは砂漠の国だ。砂地に原油を撒いて固めた部分を作ったり、腰に人工芝の一切れをぶら下げてコースを回るといういわゆるゴルフとは全く異なる”ゴルフ”の世界である。普通のゴルフに触れる機会など全くないままに45歳になり、ようやく本社探鉱部に総合課長として戻ったのである。

当時の片平常務から「ゴルフをやってくれないか」と言われたのである。「ゴルフはしたことがありませんし、する気もありませんから」と断った。しかし「道具など1セットをやるから」と何度も勧められたのだが頑として断ったのである。同期の服部のように、南カリフォルニア大学へご留学と言ったゴルフも可能なのどかな生活をしてきたのではないのである。ゴルフなど不可能な海外の現場ばかりに出しておいて何を言うか、との気持ちがなかったわけではない。

45歳で初めてクラブを握って、ゴルフが仕事に生きるほどうまくなるわけがないのである。「耳かきの親分のようなもので球を打って」などと嫌味を言うわけではないが、ゴルフなんぞの無駄時間を使わなかったからこそ、いろいろな勉強ができた。あの時断ってよかったと今も思っている。

 


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