『北魏再興国家としての日本(漢家本朝)』(Chinese, Northern Wei's, Conquest of Japan)の出版-その5

本書の内容の一端でも知っていただくために「あとがき」の部分引用をしてみよう。

(引用)

歴史をひも解いていて不思議に思うことは沢山ある。明治時代からの政治的な影響を受けた歴史教育により、歴史解釈にある種の「刷り込み」が行われて久しい。

たとえば、東京大学名誉教授の平川祐弘(すけひろ)氏が産経新聞「正論」欄に執筆した「明治維新のアジア史的『意味』」(201836日付)に「「東アジアの知識層は四書五経を尊び、堯舜が徳で天下を治めた古代中国を文明の範とした。そんな儒教を学んだ日本は中国中心の華夷秩序に収まるかに見えた。しかし政治的には『日出る国』の日本は独立で、中国と宗属関係にあった半島地域とは違った」とあるのを引用して、産経新聞の『週刊正論』発行人である有元隆志は、「聖徳太子は『日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す』との文言で知られるように自立外交を展開し、華夷秩序に組み込まれることなく、独立した国家として日本が発展した理念を示したというわけです。」と書いたりしている。学校教育の結果、一般的日本人はそう思っているのである。

実は、聖徳太子は600年に小野妹子を隋に派遣しているが、その事は『日本書紀』には全く記述されていない。『隋書 開皇二十年』に原始的とも言える倭国天皇の勤めの様子が書かれている。

607年の遣使の時の「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」はいわゆる致書形式の文書であり、国と国とが対等な時に使われる表現である。しかしこれを以て聖徳太子が隋に対して対等外交を行ったと考えるのは危険である。なぜなら唐から派遣された裴世清が持参した国書は王問形式(「皇帝問倭王」)のもので明らかに臣下に対して用いる形式であったし、裴世清に一喝されて態度を豹変し、裴世清に随行して唐に向かう小野妹子に持たせた国書はその時点で既に敬白形式の表、すなわち臣下から王への文書形式になっていたのである。決して独立国としての外交などではなかったのである。

それよりも後年、630年に犬上三田耜を唐に派遣し、その結果倭国にやってきた唐の使者、高表仁と蘇我入鹿が礼を争い、怒った高表仁が国書を読み上げることもなく帰国してしまったことをも併せ考えれば、隋や唐を怒らせて倭国との関係を悪くさせるために朝廷内で力を持っていた北魏系渡来氏がそれを画策したのではないかとも思えてくるのである。

 


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