武士道はもちろん、胆力を持たぬ維新政府。その特徴は現在も

産経新聞が新元号決定の機会をとらえて「元号の風景」なるシリーズを掲載している。4月20日は「慶応」であった。大見出しに『軟弱外交とサムライの切腹』とある。筆者の客員論説委員、福嶋敏雄は幕末慶応4年1月11日に起きた神戸事件を紹介する。備前藩の340人もの行列を「供割」したフランス兵を槍で傷つけた砲術隊長、滝を死刑にせよとのフランス側の法外な要求に屈した維新政府は滝に切腹を命じたのである。記事を引用しよう。

「死者も出ていないのに、要求されるまま、滝の切腹が決まった。国際政治学者・内山正熊は著書『神戸事件』で『維新政府は無力と醜態の限りを尽くして、事態を糊塗している。(略)これでよくもいままで尊王攘夷の旗をかかげられていたものだと思うほどである』と書いた」

維新の中心は士族ではなく実際は卒族である。武士道など身についていなかったのが実情であろう。幕末の徳川幕府が展開した外国との交渉態度を見れば、徳川幕府の方がはるかに筋を通し立派であったことは疑いようがない。

この維新政府の腑抜けのような体たらくを書いたにとどまらず、次のように結んでいる。

「『無力と醜態』をさらす軟弱外交のDNAはいまもキッチリと引き継がれているのではないだろうか」

北方領土4島返還を目指してきたのを面積ではたったの7%でしかない2島でいいですよと言い出したのはまさに『無力と醜態』そのものだろう。韓国に竹島をとられっぱなし、北朝鮮には日本人がさらわられっぱなし、韓国に慰安婦の徴用工のと言われっぱなし、果ては天皇に謝罪させよとまで言われっぱなし、さらに尖閣の領海を中国に侵犯されても注視・監視するだけ、『無力』なるが故の『軟弱外交』で「醜態」をさらしている。そういえば安倍晋三首相は長州の人だった。

記事には神戸事件の1か月後に発生した堺事件についての解説が補足されている。私はその切腹した寺を訪ねたことがある。維新系の軟弱な連中によってどれだけの烈士が命を理由なく落としたか、薩長に連なる者たちは思い起こすべきだ。

 


コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>

にほんブログ村

selected entries

archives

recent comment

  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(88)人事考課を書き換えさせた石油資源開発人事部
    名無し (10/15)
  • 国際石油開発帝石(インペックス)は経営行き詰まりなのか?それを暗示する現象(2)
    名無し (08/20)
  • 園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(132)ホテル代の踏み倒し
    No use (07/25)
  • 論理の誤り―纏向遺跡と桃の実の年代
    No use (07/24)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    No use (07/24)
  • 『人麻呂の暗号と偽史『日本書紀』〜萬葉集といろは歌に込められた呪いの言葉〜』を電子出版化した
    ふひと (07/11)
  • 国際石油開発帝石のイクシスプロジェクトは「大失敗」?!
    高松 和弘 (06/27)
  • 起きる確率の高い南海トラフ地震の被害額が1,400兆円以上と言うなら
    toshi (06/14)
  • 決裁文書の事後改竄は単なる文書管理の問題ではない
    giinnokoe (06/01)
  • (続)石油資源開発の新役員布陣が発表されたが―身体検査は大丈夫か?
    名無し (05/28)

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM