出生前診断と中絶選択について

33日の産経新聞の一面トップの見出しは「新出生前診断 大幅に拡大」というものだ。従来は針で腹部に穴をあけて羊水を採取して行っていた出生前診断が血液検査でできるようになったので、拡大が決まったようだ。検査が安全に精度よくできることは喜ばしい。これまでの出生前診断でも、「疾患が確定すると9割以上が人工中絶を選択していることから、『命の選別』につながるとして、安易な拡大に慎重意見が出ていた」と記事にある。

記事の先に「『命に優劣』懸念残る」と題する解説記事がある。その中に、

「この検査自体が障害のある人を差別したり、命に優劣をつける考えを広めはしないか、懸念が完全には払拭できていない」

重いテーマである。また理性的、科学的な話し合いなど拒否してヒステリックに自説を主張する人が目立つテーマでもある。一つ経験談をしてみたい。パプアニューギニアのジャングルの中で石油の試掘井を掘削したときのこと、ベースキャンプは現地の”裸族”の集落の脇に設営していた。高床式の家に、何家族もが同居しているようなのだがその大きな建物にはもちろん網戸などない。マラリアを持った蚊が自由に出入りしているのである。そして住人はほとんど裸だ。

「マラリアの心配はないのか」

と酋長らしき男に尋ねてみたら、

「ここにいるものはマラリアにはかからない。かかるようなものは3歳までに死ぬ」

と答えた。自然淘汰が利いている世界なのだと実感した。マラリアに耐性のない人間は生存できない環境なのである。マラリアに耐性のあるものとないものの間に『命の優劣』があるわけではないが、「耐マラリア能力」に関して優劣があるのである。

ニューギニアでは自然の摂理が働いているのだが、文明社会はそれを否定しているのである。進化というものが環境に適応できるものが残り、できないものが滅びることで行われてきたその法則を人間界は悪く言えばゆがめてしまっている。もちろん倫理的には崇高な、弱者保護の精神ではあるのだけれど。

さて、この件に関し、

「障碍者の自立を支援しているNPO法人「アール・ド・ヴィーヴル」の萩原美由紀理事長は「障害が判明したから『産まない』といった安易な考え方につながるのではないか。命を選別するものではなく、生まれてくる子の成長をどう支えていくかを考えるものであってほしい」

と記事に書いている。

障害が判明したから『産まない』という人が9割を超えている現実があるのに、それを「安易な考え方」とするのはおかしいのではないか。人工中絶を選択した9割以上の人は、安易に結論を出したのではなく、大いに悩み、罪の意識とも戦いながらその結論を出したはずである。みずからと考え方が異なるからと言って、「安易」と決めつけるのは不適当だと感じる。

そして障碍者の自立を支援するというNPOだが、本人が自立できないからこそ支援しているのだろう。アートの教室をしようが、アートに才能があって食べていける人などほんの一部であろう。このNPOが取り組んでいるのも、「障害のある人が作ったもの」ということで、購入を呼び掛けているのであろう。それは自立支援ではなくて「生活支援」というべきではないのか。

親が生きている間は何とか支えるとしても、親の死後どうやって行くのか。それが解決できないのに、ただ人工中絶が悪いとなど言えまい。遺伝病があるからと子を持たぬ判断のどこが悪い?近親婚では奇形発生の可能性が高いからと、兄妹の結婚などを禁じる法律が悪いとでもいうのか。本人にも、親にも不幸なことは避けうるのであれば避ける、それは一つの解だと思うが。

命の選別を論ずるならば、流産を防ごうとする治療も、自然ではなく人為であり、ある意味で命の選別に医療の名のもとに手を加えていることにならないか。極めて重い命題だけに、情緒的判断はすべきでないと思う。

付言すべきことが一つある。『命の選択はよくない』という人がいてもそれはそういう意見なのだろうが、障害のある人の自立といった話を平時だけで考えるのは十分ではないのではないか。戦争や、地震などの災害の場面で「支援」が十分にできるかも考えるべきだろう。「自立」というものは本来「支援」なしに生きていけることを意味するのではないか。産経新聞(38日)一面の「覆る常識」の冒頭にはこうある。

「地震が来ても、119番通報が殺到すれば救助はすぐに来ません。行政に頼っても命を守ることはできません。自分の命を守るのは自分です」

その状況に思いを致すべきだと思う。

もう一つ言おう。『命の選別』というけれど、『命』は人間だけのものではあるまい。動物も植物も『命』を持つ生物である。他の動植物の命を奪って人間はそれを食物にしているのである。牛や豚の命は平気で奪いながらイルカとクジラは殺さない、それも命の選別ではないのか。かつては人間は人間を食べていたようだ。種における形態、強弱、能力の正規分布、生物の進化、自然淘汰などを十分学んだうえで、自然に手を加えるべきかどうかは判断すべきであろう。簡単に「安易な考え方」という人の“安易な考え方”こそ危険なものだと感じる。

 


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