皇居外苑の楠公像に縁がある

産経新聞は1月11日から「日本人の心 楠正成を読み解く」という連載を始めた。戦前まで忠君報国の模範として称賛されてきた人物である。楠正成についてコメントするのではないので人物像については触れない。今日はその銅像そのものについて書く積りである。

この像は別子銅山の200年の記念にと住友家が作り、宮内省に献納したものである。制作を東京美術学校に依頼したのが明治23年、献納したのが明治33年であるから10年の歳月をかけて作ったものである。その制作に関係するものが親戚プラスアルファとして身近なものなのだ。

当時の東京美術学校の校長は岡倉覚三、つまり岡倉天心である。そして楠公像の図案は応募型で決定したのだが、採用されたのは岡倉秋水のものであった。岡倉天心と岡倉秋水は親戚である。それだけではなく私とも親戚なのだ。岡倉家は元越前福井藩士、主命により横浜で貿易商を営んだ。長女仲が婿養子、寛裕との間にもうけた長女が岡倉富貴であり、それが我が曾祖父、仙台伊達藩士、小野清の妻となった。その曾祖母岡倉富貴の弟が岡倉秋水(覺平)なのである。因みに岡倉天心は曾祖母の母、仲の(腹違いの)弟にあたる。

さて岡倉秋水の描いた下絵だが、当然モデルになった馬がいたはずだ。その馬がどうやらわが一族の馬だったようなのである。話は込み入るが、我が曾祖父、清の弟は仙台伊達藩士の島野家(勘定奉行などをしていたと墓所のある昌傳庵の和尚に聞いた)に養子に入った。そしてめとったのが及川もとと言った。及川家は仙台藩の馬術師範の家である。勿論名馬を飼っていた。その馬が岡倉秋水が描いた下絵の馬のモデルなのだと聞く。

岡倉天心、岡倉秋水、島野家の馬と楠公像とは何重にも縁があるようなのである。

余談を一つ。島野家から小野家に婿養子に入った島野次郎の幼時、荒川の中州で遊んでいたところ、台風の影響か、にわかに増水し中州に取り残された。途方に暮れるとき、荒川の土手に馬にまたがった母、島野もと(仙台藩馬術師範の娘、旧姓及川)が現れ、水量が増え、流れが早くなった荒川にザンブとばかり飛び込み、水馬を以て中州に至るや、「次郎おいで」と声をかけ、次郎の手を取って馬上に引き上げ、そのまま再び荒川を水馬で渡ったという。その馬こそがこの皇居前の楠公像のモデルとなった馬に違いないと思う。

かくして、皇居前の楠公像を見るたびにその話を思い出すのである。


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