園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(144)探鉱部総合課長に

ジャペックスオマーンへの6年間の出向を終えて石油資源開発に復帰した。先にジャペックスUS副社長としてヒューストンへ異動の内示を受けたが矢部孟の猛反対にあって復帰先が定まらなくなっていたのだが、思いもかけず探鉱部総合課長になることになった。このポストは石油資源開発に於いて最も多忙極まるものとされていた。その職務は国内探鉱の計画、立案、管理を始めとした探鉱に関するあらゆることを所掌していた。

私のその時点までの履歴を見てほしい。

昭和48年4月  入社、技術研究所配属

昭和49年4月  長岡鉱業所探鉱開発課

昭和49年8月  鯖石試掘場に転勤

昭和50年6月  石油開発公団石油開発技術センターへ出向

昭和52年12月 石油資源開発へ復帰、探鉱部裏日本担当

昭和53年4月  サハリン石油開発協力へ出向

昭和59年4月  石油資源開発へ復帰、探鉱部海外担当

昭和62年4月  JAPEX OMANへ出向

平成04年4月  石油資源開発へ復帰、探鉱部総合課長

以上から分かるように、探鉱部で国内探鉱に関与したのは合計で僅かに約4か月である。それをいきなり国内担当の責任者にするというのだから、会社は我が失敗を期待したのかもしれない。国内の鉱業所勤務も長岡鉱業所に3か月ほどいただけなのである。国内の油田も、探鉱の歴史も何も知らなかった。通産省の試掘に対する補助金も知らず、社内での掘削計画や、探鉱計画の立案のプロセスさえ知らなかった。更に前任者は同期入社の服部昌樹であったが、札幌鉱業所に入れ替わりで転勤になり、引き継ぎもなされなかった。五里霧中で且つ、無我夢中で業務をこなしながら知識を増やすほかなかった。因みに服部はその時次長での赴任だった。資格制度導入の時に(わざと)私の資格だけ付け忘れたことにより、同期に対して1年昇格が遅れていたからである。

そういう仕打ちを受けていた私が本社探鉱部の中心ポストに就けたのは、ジャペックスオマーンでの仕事ぶりを6年間見ていた有馬元石油資源開発副社長の猛烈な運動の結果であると後から聞いた。その時の次長は森田氏、部長は老田氏だったと記憶する。

 


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