論理の誤り―纏向遺跡と桃の実の年代

出土した土器などから3世紀半ばと時代推定されている奈良県の纏向遺跡がある。発掘で大型建物が発見されたり、近くの箸墓に卑弥呼の墓と主張する人が存在することもあり、邪馬台国畿内説の根拠の一つに挙げられていた。

その纏向遺跡の大型建物跡の脇にある穴から多くの桃の実が見つかり、その一部の放射性年代測定を行ったという。その結果桃の実の年代は西暦135〜230年と測定結果が出たという。

『三国志』にある卑弥呼の遣魏使関係は、

景初二年(238年):難升米を魏に派遣

正始元年(240年):魏の使者が倭国を訪問

正始四年(243年):倭国が大夫を魏に派遣

正始六年(245年):難升米に魏が黄幢などを授与

正始八年(247年):倭が帯方郡に遣使

などである。すなわち上記年代測定の結果より少し後の時代に邪馬台国の卑弥呼関連の記述は対応する。

纏向遺跡の桃の実の放射性同位体測定により得られた時代はほぼ魏書にある邪馬台国の時代に一致する。しかしその事は土器により推定された纏向遺跡の時代と一致したというだけのことである。それを以て纏向遺跡に代表される邪馬台国畿内説の信頼性が高まったわけではない。

産経新聞(5月15日)の記事には「大型建物などは出土した土器の形から年代が推定されていたが、科学的な年代測定法でも同様な年代と判明したことで邪馬台国畿内説を後押しする材料となりそうだ」とある。こんなことを言うから日本の歴史学は未熟だと言われるのである。さらに土器編年を非科学的だと捉えているこの記事を書いたものは、もう一度科学とは何かを学び直すべきである。基礎学力が不足に見える。

 


コメント
個人的には西暦230〜240年代は「モモソ媛と崇神天皇の時代」でドンピシャだと思いますが。
記紀の作成者としたら、箸墓みたいな天皇級の巨大古墳を、一皇女の墓にはしたくなかったでしょうし・・・
  • No use
  • 2018/07/24 3:20 PM
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