園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(39)東大の先輩

石油資源開発が石油開発公団の事業本部から分離独立して(株)石油資源開発となる昭和42年、石油資源開発に移籍する人と石油開発公団に残る人との人選が行われたそうだ。探鉱分野では、樹下、鯨岡、正谷、藤原、加藤などという東京大学系が石油公団に残留したのに対して、池邊、広岡、井上、吉田、片平、鵜飼、荒木などの京都大学系は石油資源開発に移った。学閥が明瞭だったのである。

当然ながら石油資源開発にはそれ以降東大からの入社はなかった。後年東京大学地質学教室第5講座(堆積学)の教授であった飯島東先生が「石油資源開発に東大の学生を送ると、冷遇されるどころか虐待されるから行かせなかった」と述懐するのを何度も聞いたがそれはそのような学閥と、いじめの存在に基づく発言だったのである。

そんなことは全く知らずに入社した私はまさしくその『虐待』の渦中に置かれていたようでもある。そんな石油資源開発の探鉱関係にたった一人東大の先輩がいた。それが森田謙宏氏であった。当時は石油開発公団の技術部に出向していた。後に常務取締役になった人である。新潟県の巻の出身で、東大では野球部に所属していたと聞いた。挨拶に行った時には「夕方来い」とのことで、一夕近くの店でご馳走になった。私の後から東大出身者が石油資源開発の探鉱関係に何人も入ったが、石油開発公団に出向した森田氏以外に役員になったものはいない。やはり、飯島先生の言う「東大出身者は虐待される」というのは本当だったようにも感じる。優秀なのは何人もいたのだが。

後に某天下り社長に学閥のことを話したことがあるが、社長は「そんなものはありません」と言った。何も見えない裸の王様だと感じた。


 


コメント
園翁自伝、面白く読ませてもらっています。私は、地質教室第5講座で飯島さんの1年下でした。大学院の夏休みに、中村和明君や佐藤任弘君らと帝石の依頼で会津盆地の調査に出かけ、石油は見つけずに、奥さんだけ見つけてきたと池辺さんに冷やかされたものです。
  • 平山 次郎
  • 2017/08/12 5:10 AM
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