INPEXのイクシス、厚化粧の仮面顔の下に見えるのは…

国際石油開発帝石(INPEX)がイクシスのガス田開発、長距離の海底ガスパイプラインの敷設、LNG製造施設建設という3つの大プロジェクトを同時進行で実施したことは事実である。そのような事業のオペレーター未経験の国際石油開発帝石だけに、技術面でも安全面でも多くの問題を引き起こした。工程の大幅遅れとコストの大幅超過がその経済性に多大な影響を与えたことは間違いない。オーストラリア政府にPRTを納めないと報道されていたが、それはプロフィットがないということを意味するのである。

さてそのイクシスだが、すでに昨年からLNGの生産を開始し、生産量には問題があるようだが、一見順調に出荷を続けている。このような巨大プロジェクトが成功し、キャッシュフローを生み出すようになれば会社の株価もそれなりに上昇するのが普通なのだが、何と年初来最安値に近いとことにあって、上昇しない。株主というのは会社の状態を何故か察知するものらしい。なんとPBRが0.47程度というのだから、将来性が評価されない、つまり夢がないと判断されている会社なのである。

さて、国際石油開発帝石はガス生産が始まったばかり、LNG生産も始まったばかりのイクシスの第二次開発に取り掛かっている。常識的なビヘイビアーではない。それが必要ならば、第一次開発において生産井数を多くしておけばよかっただけである。裏事情があることが透けて見えてくる。鍵は2点だ。

  • 一次開発時の開発井は20坑だった。しかし最初の2坑が仕上がらなかった。(当時からそこまでしか情報が洩れてこなかった)
  • 先の決算発表の中で、生産井として仕上げたのは16坑だと話している。(動画音声で聞いたので間違いないと思う)

一次開発の途中に第二次開発の計画をし、第一次開発が終わるや第二次開発(生産井の掘削作業)に取り掛かるとの動きから、イクシスは根本的に埋蔵量が不足しているだろうと私は予想し、このブログにも書いてきた。しかし、決算発表時の「生産井が16坑しかないとの説明」を聞いて、埋蔵量不足は「予想」から「確信」に変わりつつある。

およそ開発井というものは確認埋蔵量存在域(Proven Area)内に掘削されるものである。掘削中の坑内トラブルなどにより生産井として仕上げられない場合もあるが、その場合はサイドトラックなどをして掘削しなおせばよい。従って通常生産井が仕上がらないという結果になるのはそこに生産に寄与するだけのガス埋蔵がなかったことを示すのである。

20坑のうち4坑が仕上がらなかったということは最低20%の埋蔵量の減少を意味しているとみてよいだろう。問題はそれだけにとどまらない。埋蔵量のないエリアを確認埋蔵量のある所として評価してしまっているという、信じられないほどの技術的「低能力」を証明していることにもなるのである。ひと言でいえば、埋蔵量粉飾の疑いが極めて濃いのである。

この埋蔵量不足は、埋蔵量の補充を急務とする。そこで第二次開発ということになるが、それにも自信がなければ近隣で新たなガス田を発見しなければならない。国際石油開発帝石がイクシスの周辺の、なんと18にも及ぶ探鉱鉱区で探鉱作業を実施中だという行動がその状況に符合する。

イクシスのプロジェクトは40年継続する。絵にはどんな“嘘”でも描けるのだが、その40年先を、少なくとも当初説明を下回らなかったと言えるようなものにするのが技術屋の良心と言うものではないか。(事務屋の良心には期待しない)

もっともあの嘘にまみれた石油公団の連中が現在の国際石油開発帝石を、天下りとともに動かしているのだから「正直さ」などもともと持っていないと思うべきなのかもしれないが。それにしても生産井掘削で20%も非生産域に掘ったのなら…ヘボ!

国際石油開発帝石に「透明性」があればこのような“読み”は必要ないのだが…

 


天皇に礼を欠き、国民を不敬の輩にしたらしい安倍晋三首相

安倍政権が隠そうとしている重大なことがある。430日に行われた、天皇の『退位礼正殿の儀』において「国民代表の辞」を天皇皇后両陛下に対して述べた安倍晋三首相がとんでもないことをしでかしたのだそうだ。信じられないことに、

「天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」

と言ったというのである。(gooニュース、https://news.goo.ne.jp/article/dot/nation/dot-2019051400027.html

文章には「願って已みません」とあったのだが何ということか、安倍晋三首相は「已みません」が読めなかったらしいのだ。読みかけて一度詰まった挙句の間違いだというのだ。天皇皇后両陛下に「国民を代表して申し上げる言葉」と言う重要なものであるにもかかわらず、下読みをしなかったいい加減な対応が歴然である。これが国民会議の会長をした人がすることか。

天皇皇后両陛下は「原稿が読めないほどの愚か者め」とお感じになったのであろうが何もお咎めにはならなかったらしい。

「無礼者!」

とのお言葉でもあれば、戦前であれば、退出して即座に腹を切る、それができなくとも即刻辞職し謹慎するのが当然なのである。天皇皇后両陛下の度量の大きさに救われたのである。

しかし天皇皇后両陛下が仮令お許しになったとしても、国民を代表して両陛下に対し「願っていません」となど言った責任はどうとるのだ。安倍晋三首相は国民に謝罪をしたか?内奏の時の陛下のご様子がどうのこうのというのとははるかに次元の異なる重大なる非礼、不敬なのである。

かつて「云々」を「でんでん(伝伝)」と国会で読んだという、学識以前の教養不足の安倍晋三首相個人の資質を知るべきではないか。安倍晋三首相の大好きな戦前の日本であれば身の危険が迫ったのではないかとさえ思うが、戦後右翼も弱体化し、浅沼事件のようなことは起こらなくなった。しかし、だからと言って緊張感が欠けてはなるまい。まして天皇の退位、即位、新元号などを政治的に利用しているようにも見える安倍晋三首相である、天皇皇后両陛下に対する無礼を捨ておくわけにもいくまい。天皇を利用して成立した明治維新を思い起こす。

この報道の状況を私は確認したわけではない。俄かには信じがたいことなので、報道された内容が事実であればとの条件付きでのコメントである。あまりにも重大事なのでメディアがきっちりした取材、検証、報道をすることを望む。もちろん政府および安倍晋三首相が積極的に説明すべきであることは明白である。

(このような報道に対しての宮内庁や政府・首相からのコメントを現時点まで私は耳にしていない)

 

 


戦争で領土を回復するのはダメだというけれど

丸山穂高と言う日本維新の会の衆議院議員だが、北方領土へのビザなし訪問団に同行中に「戦争で取り返すのはどうか」と訪問団の参加者に問うたとして問題化し、日本維新の会は丸山穂高を除名処分にした。菅官房長官も「政府の立場は全く異なる」として突き放している。

世の中のメディアが右向け右のように、「戦争で取り返すなどとんでもない」と声を合わせている。だがそれは付和雷同の類ではないか。戦争で、との表現が戦争アレルギーの日本国民の拒絶反応を起こしたのだろうが、この件は感情など抜きにして考えるべき問題である。

が、その前にこの丸山穂高だが、東大の経済学部を卒業して経済産業省に勤めるのだがわずか3年で退官している。そして松下政経塾と言う、出来損ない議員を多く輩出した議員養成専門学校のようなもので3年過ごし、そしてそのまま日本維新の会に入り、衆院議員となった人だ。つまりまともな社会人としての経験がない。常識が欠けていてもおかしくないだろう。以前にもいろんなトラブルを起こしているそうだが、このような人間を公認した日本維新の会にも大きな罪がある。悪名高い奇兵隊もろくでもない連中を集めて出来ていたというが…。

さて本題に戻ろう。北方四島は旧ソ連が武力占拠してそのままになっている日本の領土である。敗戦国日本の立場で当時は不可能であったとしても、武力で不法に取られたものは武力で取り返すのが普通であろう。返してくださいとお願いして返してくるような相手ならどさくさに武力占拠など最初からしない。

中国が我がものだと言いがかりをつけて武力占拠を狙っている尖閣諸島だが、もし武力占拠されたらどうするのだ。自衛隊は島嶼奪還部隊と言う専門の部隊を創設し、米軍とともに訓練を行っている。尖閣奪還作戦は戦争ではないのか。北方四島奪還作戦と何が異なるのか。基本は同じではないか。戦争と言う言葉を使いたくなければ「武力」或いは『実力』と言い換えればよいだけだ。つまり局地戦なのである。

「武力で奪われた島を戦争で取り返そうとなど考えていない」とする日本政府が、尖閣に関しては「武力で奪われたら用意してある島嶼奪還部隊をもって取り返す」との方針でいるこの矛盾をどう説明するのだ。

真剣に考えるべき事柄である。問題は維新のバカが酒を飲んで酔っ払って、からむような態度で喚いたところにあるのではないか。日本維新の会は創設者を始め喚き、罵るという、礼節をわきまえぬ人が多いようだ。生来の性質もあるのかもしれないが、政治家となってから所属した団体の環境にも影響されているのかもしれない。

メディアはヒステリックになるべきではないと思う。丸山穂高よ、酒に飲まれれば正論さえも否定される。喚かず、騒がず、冷静に、信念を持って論ぜよ。東京大学入学で「高慢さ」を身に着け、経済産業省で「役人的尊大さ」に染まり、維新に所属して「品格」を失ったのかと世の評価を受けかねないぞ。

 


こじつけではないか、老中国古典学者

「令和」なる安倍晋三首相お気に入りの新元号の本意は、聖徳太子の十七条憲法の一、「一曰。以和爲貴、無忤爲宗。」すなわち、「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」(太字下線は筆者)が意図するところの「「和」を令(命)する」であろうと5月2日のブログに書いた。

この「令和」を「萬葉集」と言う国書から採ったと民族主義的恍惚感に浸っているようにも見えるが、元号制度そのものが中国産なのだから、出典が国書などと言ったってバカみたいな話ではないか。また、『萬葉集』の中の序は萬葉仮名での和文ではなく漢文であり、さらに出典とされた部分は『文選』の中の「帰田賦」を踏んでいるとの指摘が多く寄せられたという。ちなみに、後漢の張衡の帰田賦の該当する部分は、
「於是仲春令月 時和気清」

と言うものである。

さて、産経新聞(5月12日)には老中国古典学者、加地伸行が「個展古典 まだある「令和」の出典」として寄稿している。中国古典学者として何か言わずにいられなかったのだろう。(従来から屁理屈的な反論、対論を好む方のようだ)

そして「帰田賦」の出典はと求めての例文を列記し、

「令和は『萬葉集』を出典とし、同個所は『文選』を出典とし、それはさらに経書の『儀礼』『周礼』などを出典とするという話になってゆく」

と書く。安倍政権の言う、国書がどうのと言う説明の浅薄さが明白だろう。

しかしその後がいけない。朝日新聞が中国哲学研究の衰落と書いたことに「むっと」したかのように加地伸行は書いてしまったのである。生来の性格か、高齢の故か、我慢ができなかったのだろう。

「では腕試しに”御用学者殿“に豪速球を一つ。打ち返せるかな」

と精神状態むき出しの表現をしたうえで、『礼記』の月令を紹介する。

「その年始の1月において、民に対して「徳を布き、令を和らげ…(略)」とある。原文中の和令を取り出して訓読すると「令を和らぐ」すなわち「令 和らぐ」、すなわち「令和」ではないか」

と書いてしまった。

月令の当該部分の原文は、

「立春之日,天子亲帅三公、九卿、侯、大夫以迎春于郊。反,公卿、侯、大夫于朝。命相布和令,行施惠,下及兆民。庆赐遂行,毋有不当。乃命大史守典奉法,司天日月星辰之行,宿离不,毋失经纪,以初常。」

である。見ての通り加地伸行の言う「民に対して」ではない。「布和令,行慶施惠」を相(宰相)に対して命じたのである。そしてそれを「下は兆民に及ぼせ」と命じているのである。

もう一つ。和令の令は律令の令であり、法令のことである。法令を和らげるとはどういうことか。法令を緩めるという意か。違うのではないか。和には従うとの意味がある。だからここは「徳を布き(徳を施し)、令に和せ(法令に従って不公平なく対応せよ)」と解するのが良いのではないか。

さらに言おう。「和令」を読み下せば「令を和らぐ」だから「令和」だとは、もはやこじつけ以外の何物でもない。こんなことを言い始めたら中国古典学者失格であろう。ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こす高齢者が後を絶たない。それと同様にこれは老中国古典学者が起こした“事故”のようなものである。免許証は返納したほうが良いだろう。老醜は見せぬほうが良いものではないか。それにしても自身は御用学者ではないと思っているように見受けられるが、疑問に感じる人は多いのかもしれない。

 


臥薪嘗胆と言う言葉を忘れたか、古森義久

産経新聞(5月6日)に「令和に寄せて」なるシリーズの一つ、古森義久の「戦争の怨讐に区切りの時」なる一文が載っている。アメリカ暮らしが長く、今も産経新聞ワシントン駐在客員特派員として米国在住の人だ。特定の外国に長く駐在したものがその国に通常以上の親近感を抱き、ややもすれば贔屓目に物事を見るのはビジネスマンの世界にもふつうにみられる現象であるが、この方もその例にもれずといった感がある。第三者的視点で公平に物事を判断するという点からは、米国に記者をどっぷりつからせることは危険である。長い経験というメリットとのバランスのとり方が難しいのだが、この記事を見る限り産経新聞はやや誤ったのではないかと感じる。

内容は先の大戦に関する外国の反応が1989年の昭和天皇の病状優れぬころと現在とでは大きく異なるというものだが、かつての例はイギリスだけ、そして現在の外国の反応は米国の例以外記されていない。つまり駐在していた特定の国、しかも異なる国で、今昔を比較しているのである。「比較」というものの基本・本質をよく理解していないように見える。今少し科学的な事象の取り扱い方を学んだほうが良いのではないだろうか、いくら文科系にしても。

気になる記述がある。

「日本軍と実際に激しく戦った人ほど、戦争での善悪や正邪を断じず、国同士の利害衝突による正面からの堂々たる戦いに結果として米国が勝ったのだという客観的評価を示すのだった」

という部分だ。これは米国人のことを書いているのだが、古森はこれをただ聞いていたのだろうか。戦争の正邪も善悪も論じなくてもよいが、「正面からの堂々たる戦いに結果として米国が」と言うところには反論すべきだ。軍事施設ではない広島、長崎と言う非戦闘員が数多くいるところに原爆を投下し、いわゆる無差別虐殺をしたのであり、戦勝国の立場を利用してその国際法上の問題をもみ消したのである。どこが「堂々と」なのだ。この発言を放置する(少なくともこの記事の中では)古森を中立ではなく米国寄りと断する。

「日本にとってあの戦争の記憶は消せるはずがない。だが令和の新時代は戦争での国際的な怨讐(えんしゅう)には完全な区切りをつけ、過去の戦争のために現在の日本を劣等な国であるかのようにみなす断罪は内でも外でももう排されることを期待したい」

との結びの言葉に不足なのは、原爆で非戦闘員を無差別虐殺したことを米国人は自ら断罪すべきであるとの意見であろう。書き手が、臥薪嘗胆の言葉を忘れた「ワシントンの人」に見えてくる。控えめに評しても、古森義久には米国長期駐在の弊害がはっきりみえる。

 


アヴェード ヴァスクレセーニィヤ(みちたけランチ)(225)

 

本日(11月11日)の特別ランチは「アナゴのニンニク焼き」である。添えられている野菜は、カブ、サツマイモ、エリンギ、ミニトマトなどだ。ソースはガーリックバターと醤油がベースになっている。そしてアナゴは地元、松島産のものである。秋と冬を行ったり来たりの不順な天候だからややもすれば体調を崩しやすいのだが、そういう時はこのようなニンニクたっぷりの料理が良い。温まるだけでなく元気が出る。

デザートはイチジクと豆腐のムースだ。

 

 


園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(190)「ゴルフをやってくれないか」と常務から

私とゴルフの出会いは静岡大学に入学して、教養課程にある時のことだった。大学と言えども体育の時間と言うものがあったのである。担当の指導者は平沢弥一郎と言う人で、足の裏の研究で著名な方だった。体育の内容が愉快だった。社交ダンスとゴルフを覚えている。社交ダンスと言っても習ったのはワルツのみ、ボックスとリバースの稽古をした。ゴルフはドライバーのみ、だからアイアンもパターもよくわからない。

石油資源開発に入社してからも、研修が終わったら、石油公団石油開発技術センターに2年半の出向、自分の会社に戻ったと思ったらたった4か月いただけでサハリンの石油開発のプロジェクト会社に出向6年の現地勤務、石油資源開発の探鉱部海外担当に戻って3年在籍したら今度は中東のオマーンの石油開発を6年出向して担当した。ソ連時代のサハリンにゴルフ場などなかった。自由に散歩することすらできない環境だったのだからゴルフなどどこかよその国の話だった。中東のオマーンは砂漠の国だ。砂地に原油を撒いて固めた部分を作ったり、腰に人工芝の一切れをぶら下げてコースを回るといういわゆるゴルフとは全く異なる”ゴルフ”の世界である。普通のゴルフに触れる機会など全くないままに45歳になり、ようやく本社探鉱部に総合課長として戻ったのである。

当時の片平常務から「ゴルフをやってくれないか」と言われたのである。「ゴルフはしたことがありませんし、する気もありませんから」と断った。しかし「道具など1セットをやるから」と何度も勧められたのだが頑として断ったのである。同期の服部のように、南カリフォルニア大学へご留学と言ったゴルフも可能なのどかな生活をしてきたのではないのである。ゴルフなど不可能な海外の現場ばかりに出しておいて何を言うか、との気持ちがなかったわけではない。

45歳で初めてクラブを握って、ゴルフが仕事に生きるほどうまくなるわけがないのである。「耳かきの親分のようなもので球を打って」などと嫌味を言うわけではないが、ゴルフなんぞの無駄時間を使わなかったからこそ、いろいろな勉強ができた。あの時断ってよかったと今も思っている。

 


安倍首相のために八面六臂の阿比留瑠比

安倍首相への産経新聞単独インタビューの当事者となったり、「悪魔」発言をとりつくろったり、今回は北朝鮮の金委員長との「条件なしの階段」発言のフォローなど安倍首相の発言の補足、正当化、解説をはじめ、朝日新聞をこけ下すという代理行為に至るまで阿比留瑠比は忙しく活躍している。ただ公正な位置での記事ではないのでその文面には苦心の後だけではなく、無理なこじつけなども頻繁に見受けられる。これほど尽しては、親分がこけたらどうなるのかと心配になるくらいだ。今更抜け出せない境遇にあるのだろうとは推察するのだが。

さて、産経新聞(59日)の「極言御免」欄の見出しは「首相『条件つけず』真意とは」だから安倍首相の発言の援護目的の解説記事と言ってよいだろう。面白い部分は多いようだ。

「従来、首相は『対話のための対話では意味がない』と繰り返し述べてきたが、その言い方をここにきて転換したのはなぜだろうか」

とまず記事のテーマを書くが、そんなもの、選挙が近づく状況の中で少しでも外交でポイントを稼ぐためには金委員長と直接会談ができればと考え、会談に関する条件を低くどころかなくしたのだろう。金委員長とはトランプ米大統領、習近平中国国家主席、プーチンロシア大統領、そして韓国の文大統領さえ直接面談しているのである。厚いメッキが施されているとはいえ「外交の安倍」と見えを切る以上は直接面談くらいはなければ具合が悪いのである。

しかし阿比留瑠比は別の点から解説に入る。

「産経新聞は原川貴郎記者の署名記事で「政府筋」の話として、金氏が2月下旬の2回目の米朝首脳会談でトランプ氏に対し、日朝間の課題として拉致問題があるとの認識を示し、首相と「会う用意がある」と発言したと指摘した」

この話は、2月の米朝首脳会談の内容を日米首脳の電話会談で安倍首相が聞いたとされるものを、安倍首相から聞いた政府首脳からさらに早川記者が聞いたというものであろう。伝聞の伝聞のような、いわば伝達ゲームでのような正確性が急激に減衰するものを書いただけなのに、それを早川記者の署名記事だとわざわざ言及する判断が奇異である。早川記者のスクープでなどないことは、同様のニュアンスの話が日経新聞も出ていると阿比留瑠比自身が書いているから確かだ。続く、

「そのうえで、こうした金氏の考えをトランプ氏から聞いたことが、首相の踏み込んだ発言の背景にあると分析している」

この程度を「分析」と言う“軽さ”は置くとして、金委員長が日朝の課題として拉致問題があると認識していると言っているならば、なぜ「拉致問題を話し合うための会談」を設定しないのだ。相手が課題を認識しているのに「課題に触れずに、無条件に会いましょう」と言うのだから、裏に別の事情が隠れているとみてよいだろう。ひょっとすると拉致問題の現状を正直に語られては困るのではないかとさえ思えてくるではないか。確かに、噂では拉致被害者はすでに全員死亡しているとも言われているのである。それが表に出ては選挙対策上困るという判断が働いているのかもしれない。拉致問題解決を困難にしているのはひょっとしたら日本政府なのかもしれないのである。

退位も即位も新元号もこの時期の出来事はすべて選挙を睨んでの行動とみるほうが良いのかもしれない。それにしても産経新聞は罪深いことをしているように見える。

 


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