アヴェード ヴァスクレセーニィヤ(みちたけランチ)(246)

本日(62日)の特別ランチは「マグロと茄子のマーボ炒め」だった。丁度夕食にマーボ豆腐を作ろうと考えて、調理ビデオを見たところだったのでこのメニューの近似性に驚いた。マグロは醤油などに漬けて揚げた、竜田揚げを使っている。豆板醤の奥深い辛みが良い。それだけでなく食欲を増進させる。

吸い物は、この時期ならではの若竹と若布という「若」尽くしだ。「若」とつく素材を使っているだけで何故かうれしくなる世代なのである。

デザートは黒ごま豆腐ムースだった。

さて、マーボ豆腐を作るべく、豆板醤、豆鼓、ラー油などなどの在庫をチェックしてから買い物に出かけるか。

 

 


園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(194)「矢部さんに殺される!」

35歳でサハリン石油開発協力6年間の出向を終えて石油資源開発本社探鉱部海外担当に戻った時に、林海外室長と一緒に作成した「海外探鉱基本戦略(案)」を当時の日高社長以下に提出したのだが、石油開発公団のプロジェクトや投融資のあり方などから事業性の観点から石油開発公団と距離を置くべきと主張したことが矢部孟の不興を買う原因となったようだった。そのあとポストイノコ案件の評価に参加し、ネガティブな評価をしたとたんに、その報告会の席上、矢部孟に絡まれ、怒鳴られた。それまでにも多くの人が会議の場などで罵倒され、平身低頭して許しを請うのが普通だったが、私は魂を売ってまで保身に走る気持ちを持たなかった。一時は林海外室長が、私が辞職するのではないかと心配をして声をかけに来てくれたほどだった。

そして間もなく潰れかけていたジャペックスオマーンに出向させられ、そこでまたもや6年の草鞋を履くことになったのである。ダリール油田を評価し、開発に持ち込み、油田として完成し、オマーンから原油を日本に持ち込むことに成功した。石油資源開発にとっては初めてのオペレーターとしての海外プロジェクトの成功であったように思う。

そのまま引き続いて米国のジャペックスUSに出向というところを矢部孟(ジャペックスUS会長)の反対だったのか、内示を受けていたのが変更になり、本社探鉱部総合課長になったのである。その時に探鉱部次長であった森田謙宏から明かされた言葉が今も頭に残っている。

「あの時はさ、小野が矢部さんに殺されるというので急遽オマーンに出向させたんや。避難させたんだ」

しかし、その後にまとめたのが国内探鉱のソフトランディング計画であった。これがまた矢部孟の癇に障ったらしい。

探鉱部次長になっていた私に突然インドネシアに出向の指示が来たのである。国内探鉱終結に向けての撤退計画を作り、石油公団肝いりのタリムプロジェクトの評価で「4拍子そろって駄目なプロジェクト」としたので、経済産業省も石油公団も“不埒な奴”と判断したのだろう。

そのインドネシアプロジェクト(ジャペックスサボ)からそのままオーストラリアのジャペックスACに移動となった。その後私的な事情で帰国を願い出たのだが、戻った先はなんと資材部、技術系の探鉱開発からいわば追い出されてしまったのである。2年で技術系に戻すなどという岡部常務さんとの約束は紙よりも薄かった。これらについてはそれぞれの時期のところで詳細に記述するつもりである。

随分ひどい目にあったが人間万事塞翁が馬、石油の探鉱開発を捨てたかのような石油資源開発で働き続けたのではなく、もっと有意義な歴史再解読という仕事を得て毎日充実した日々を送っている。役員や副社長になっても、メッキの下の地金の質の悪さに降格処分と評価される扱いを受けた者たちと比べれば、金銭的には恵まれずとも、誇りうる人生を送っているのである。思いようでは、あのパワハラなかりせば、今の人生はなかった。ある意味で感謝である。

「嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影宿し 治安の夢に耽りたる 栄華の巷ぁ 低く見てぇ♪♪」

そして

「た〜〜だひと〜つ〜〜♪………称え 称えん 称え 称えん〜〜〜♪」

もう一つ

「闇を破らん清めなん 暗きに迷う 同胞が 行くべき道を 示すなり〜♪」

七十一歳にして青雲の志を今もって忘れず

 


基本認識に誤りのある櫻井よしこ

トランプ米大統領が安倍晋三首相と大相撲観戦に来る日に国技館に出かけ、そばの席に陣取り、トランプ大統領に手を思いっきりさし伸ばして握手を求めたミーハー櫻井よしこにはがっかりした。国家基本問題がああの、正論がどうのというなら、そんなみっともない真似はしなければよいものを…所詮は小者か。

その櫻井よしこの『美しく勁き国へ』というコラムが63日の産経新聞に掲載されている。タイトルは「改憲で令和乗り越えよ」だ。安倍晋三首相の改憲は「自衛隊を日陰者でなくす」というのが目的ではなかったか。「令和という時代を乗り越えるために必要」なものとは初めて聞いたが。なんだか「安倍一家内不一致」と言われそうな感じではないか。

さて話はいろいろ書いてはいるがとどのつまりは改憲しようということである。そんなことはさておき、国家基本問題研究所なる大仰な名前の組織の理事長とも思えぬことが書いてある。

「日本は米国一強時代の下で安寧の30年を過ごした。自然災害は多発したが総じて豊かで平和な時代だった。しかしこの平和は日本自身が勝ちとったものではなく、米国の庇護(ひご)によって実現されたと言ってよい」

櫻井よしこは日米安保条約が米国が日本を守るために「親切」で締結したと考えている、いや国民にそう思わせたいようだ。

まず米国を中央に置いた世界地図を広げてみるがよい。米国の東には大西洋が広がり、そのさらに東にはヨーロッパ諸国がある。眼を西に転ずれば、米国の西には太平洋が広がり、その先には日本がある。ヨーロッパ諸国の東にはついこの間まで東西冷戦の相手だった核大国ロシアがある。西の日本のさらに西にはこれまた核大国かつ社会主義の中国がある。つまり米国の東西は地政学的に対称的になっている。

さて、米国は自国の安全のために大西洋と太平洋をいわば城の堀のように自国の管轄下に置こうとした。そのための橋頭保として堀の向こう側にヨーロッパ諸国及び日本という同盟国を作って2大核保有国に対峙させたのである。東にはNATO軍を配置した。そして西では元占領国である日本と日米安保条約を結び、日本の防衛を表向きの姿として自身、すなわち米国の防衛策としたのである。

米国の庇護?愚かな冗談を言っちゃあいけねえ。

日本に軍事産業が育たない。それも、日本を強くして米国を守らせるのは必要だが、日本が日本独自で軍事力を増強できるようにはさせないとの米国防衛策の基本があるからに他ならない。どうせ米国製兵器を買うにきまっているからとヨーロッパの軍需産業が防衛省への売り込みさえ無駄だとしてしないと聞く状況からもそれは常識ではないか。

ともかく、トランプ大統領と握手したかった櫻井よしこは、中国国家主席との握手とツーショット写真に有頂天になった旧民主党のカス議員と同レベルに見える。

 


小学校からの理科教育の充実が経済成長のカギ、では英語学習にどんな意味があるのか?

産経新聞(524日)の「正論」欄の「教育政策と失われた経済成長」(西村和雄)は、

「平成30(2018)年のノーベル経済学賞は、ニューヨーク大学のポール・ローマー教授に与えられた。ローマー教授は、1986年に発表した論文で、技術の進歩が、研究開発投資や教育投資を選択することで決まり、持続的な成長が可能になるという新しい経済成長理論を提示した」

と紹介する。世界経済はその通りに見えるが、

「日本では、「人的資本」という用語すら使うのがはばかられるほど、教育への投資をその後の収益と結びつけた議論がなされることが少ない」

とも。

経済への効果を顧みることなく、本来「教育投資」であるべき税金投入が「教育ビジネスへの援助」となってしまっているのが現実ではないだろうか。「教育投資」を離れても、教育内容の低レベル化(ゆとり教育など)の効果は顕著で、同記事に、

「スイスの国際経営開発研究所(IMD)による、『世界競争力ランキング』では、平成元年に1位であったのが、9年から落ち込んだままである。昨年は、日本は25位で…」

と、日本人の能力の衰退が明白である。そこで、

「平成28年3月に研究開発者を対象とした調査を実施し、学習指導要領が変更された年で年代を分け、高校時代における理数系科目の学習状況と、技術者になってからの特許出願数と特許更新数の関係を分析した」

ところ、

「1人あたりの申請数と更新数は、40代後半を境に、急激な変化がみられ、それより若い世代は、平均値が著しく低くなっていた」

とのこと。そして、

「昭和55年以降に中学に入学しているゆとり教育を受けた47歳以下の世代と、それより上の世代で特許出願数と特許更新数に大きな違いがある」

ことが分かったという。また、

「高校時代の数学と物理が得意であった人は研究成果が高いことが示されており、中学時代の数学と理科の授業時間数が大きい時代には得意度は平均的に高くなっている」

などから、

「小学校で理科に興味を持たせ、中学で十分な時間の学習をして、高校で理数系科目に得意感を持つ、日本のイノベーション力を復活させるそんな人的資本投資が望まれる」

と結んでいる。

その通りだと思う。しかるに安倍政権は、すぐにもAIで対応できる英語学習を小学生にさせることで、大切な理科教育の邪魔をしているのである。研究の基礎はしっかりした母語にあるのだが、それを中途半端にしてもいるのだ。罪深い愚策というべきだろう。

さて派生的疑問がある。理科教育(理数教育)が経済成長のカギだとするのは良いのだが、それではいわゆる文科系をどうするのだ。文科系の研究者がいるのを否定するつもりはないが、理数系が分からぬからといわば理数から逃避する形での文系志望者は減らすべきだろう。言いすぎだというなら文系教育と経済成長の関係を調査し発表すべきだ。少子化とともに日本経済をけん引する人間の絶対数が減少するのである。経済成長への効率を考えて国家運営を図らねばならない。

 


老後の生活に不足する2,000万円を投資で稼げ、そりゃ銀行・証券会社救済のための提言だろう(2)

この報告書にはいろいろ提言というものが書いてあるのだが、「現役期」には例えば、「生活資金やいざというときに備えた資金については元本の保証されて いる預貯金等により確保しつつ、将来に向けて少額からでも長期・積立・分散投資による資産形成を行う」ことを提案、「リタイヤ前後期」には例えば「長い人生を見据えた、中長期的な資産運用の継続(長期・積立・分散 投資等)とその後の計画的な取崩しを実行する」と提言し、「高齢期」には例えば「心身の衰えを見据えてマネープランを見直す(医療費、老人ホーム入 居費等)。認知・判断能力の低下や喪失に備え、取引関係の簡素化など心身の衰 えに応じた対応をしやすくする」を提言している。

長期的・分散型・投資での例示としてこんなことを書いている。

「仮に、月に 5,000 円、年6万円の少額拠出であっても、30 年拠出し続ければ(総拠出額 180 万円) 、全期間において年2%の利回りを想定すると、246 万円となる。ここで確認しておく点は、上のシミュレーションで確認したように市況は短期的に変動しうるが、長期的に見ればリスク・リターンのバラつきは収束することである。また、年2%の利回りを想定したが、これが仮に1%だと 209 万円まで減少する。利回りの減少に影響を与える要因として、市況以外には信託報酬等の恒常的な手数料があげられる。この手数料の高低が長期投資においてはその果実に大きく影響を与えることはよく認識しておく必要がある」

重要な点がある。投資にはリスクがあるが、長期的に見ればリスク・リターンのばらつきは収束するとしている。ギャンブラーズ・ルーインの法則を思い出させるではないか。長期的、例えば30年間投資資金を取り崩す必要がないものなどはごく少数だという現実を無視している。国民の大多数は貧乏なのであり、それゆえに資産形成がなければ老後が生活できないのではなかったか。

毎月5,000円を投資し、利回りが1%なら30年後には209万円になるという。こんな例では月額5万円の不足が埋められるわけがない。2,000万円を作るには毎月5万円ずつ投資して30年かかるのである。手にするのは2,000万円としても、そのうちの元本は1,800万円である。投資で老後用の資産ができるという話そのものが虚構である。金融審議会おすすめの投資をしなければ、すなわちタンス積み立てをすれば、リスクなしで1,800万円はできるのである。どちらがマシかは自明であろう。

また、話の前提は65歳からの生活で毎月5万円の家計不足が出るというものだった。2,000万円を取り崩してその不足に充当するのであれば、不足が始まる前にその2,000万円を用意しなければならない。ということは、65歳になる30年前、つまり35歳の時から毎月5万円を積み立て投資しなければならないことになる。アベノミクスは実質賃金の減少を継続的にもたらしている。国民の状況からはそのようなことができよう訳がない。欺瞞と屁理屈でこねて作った詐欺餅といったらよいか。立派な肩書の審議委員がこんなものをまとめるとは世も末の感がある。

非現実的例で国民をだますのは不届きだ。

ひと言でいえば、これは「証券屋のセールストーク」に似た全く信用ならないものだ。

国会で追及された麻生金融担当大臣(財務大臣)は「正式な報告書としては受け取らない」と611日の述べた。しかしこの報告書は金融審議会のワーキンググループの報告書である。内容によって大臣が正式な報告書として受け取ったり、受け取らなかったりを判断し、決めてよいものなら、金融審議会は大臣の意向・考えでコントロールされていることになる。それでは審議会ではあるまいに。金融庁では先に結論を与えたうえで審議させているのか?まるで「俺の政策の基礎データにならない統計などいらない、使える統計データを作れ!」と同じパターンに見えてしまうが。

平均的に2,000万円不足がその通りだとしても、リスクはあれど効果はわずかの投資(NISAなどを想定している)をせよと銀行・証券界への利益誘導を図るのではなく、選挙対策用に加工・粉飾された年金の実態を明らかにし、不足をいかに補うかを考えるのは政府の役目であろう。憲法改正や(ノーベル平和賞狙い?とも見える)中東和平への参加などよりはるかに重要な問題なのである。

(余りに馬鹿げた報告書の内容だったので、自分の計算が間違いかと心配になる)


老後の生活に不足する2,000万円を投資で稼げ、そりゃ銀行・証券会社救済のための提言だろう(1)

予定稿に替えて、取り急ぎ書いてみた。

金融庁の「金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書」が63日に発表された。題は『高齢社会における資産形成・管理』というものである。老後資金が2,000万円不足するとしたので国民を動揺させるものだ。「百年安心」と言ったはずなのに「もう不足している年金」が実体では、なんとも政府関係の言うことなど信用できない。そしてこの報告書だが、厚生労働省ではなく金融庁から出たところに、怪しさがすでに見えている。試しにオブザーバーを見てみれば、消費者庁、財務省、厚生労働省。国土交通省、日本銀行とありきたりの役所はともかく、日本取引所グループ、日本証券業協会、投資信託協会、日本投資顧問業協会、信託協会、全国銀行協会、国際銀行協会、生命保険協会とあるところから、高齢者の老後の生活を慮っての報告ではなく、老後の生活のためとの看板を掲げて、(手数料収入、コンサルタント収入などを金融関係が手にする)証券投資などを国民にさせようとの意図のもとの報告とみるべきだろう。AIの発達で金融界の将来が悲観的という危機感が根底にあるとみる。安易に年金だけの議論とすべきではない。

「はじめに」には、

「、政府全体の取組みとして、高齢者雇用の延長、年金・医療・介護の制度改革、認知症施策、空き家対策など多くの政策が議論されているが、金融サービスもその例外ではなく、変化すべきシステムの一つである。政府全体の取組みや議論に相互関連して、高齢社会の金融サービスとはどうあるべきか、真剣な議論が必要な状況であり、個々人においては「人生 100 年時代」に備え

た資産形成や管理に取り組んでいくこと、金融サービス提供者においてはこうした社会的変化に適切に対応していくとともに、それに沿った金融商品・金融サービスを提供することがかつてないほど要請されている。このような問題意識の下、金融審議会市場ワーキング・グループにおいて、高齢社会のあるべき金融サービスとは何か、2018 年7月に金融庁が公表した「高齢社会における金融サービスのあり方(中間的なとりまとめ)」を踏まえて、個々人及び金融サービス提供者双方の観点から、2018 年9月から、計 12 回議論を行い、その議論の内容を報告書として今回提言する」

現状整理の章の中の「長寿化」では次のように書いている。

「日本人は年々長寿化している。1950 年頃の男 性の平均寿命は約 60 歳であったが、現在は約 81 歳まで伸びている。現在 60 歳の人の約4分の1が 95 歳まで生きるという試算もあり、まさに「人 生 100 年時代」を迎えようとしていることが統計からも確認できる」

この非科学的この上もない文章を見れば、分析も提言も信用ならぬことは明らかに思える。男性の平均寿命が1950年頃約60歳で、それが現在では81歳にまで伸びたという、そこまでは良いだろう。その次の現在60歳の人の4分の1が95歳まで生きるというのは現在60歳の人の平均余命を言っているのであり、平均寿命と並べて議論すべきものではない。そしてその次には「まさに『人生100年時代』を迎えようとしていることが統計からわかる」とあるが、この場合の「人生100年」とは平均寿命のことなのである。統計的に確実な話ではないからこそ、平均寿命と高齢者の平均余命などを混用しての詐欺まがいの文章をこしらえてそれらしく見せる、いわば”インチキ論法”を使ったのであろう。「人生100年」というのは平均寿命が100歳となる、すなわちその時点で生まれたものの半数は100歳まで生存するということなのである。「人生100年」という言葉を政治利用目的で作り出したのが明らかであろう。(続く)

 


憲法制定時に存在しなかったから憲法に規定がない、それは間違いだよ、阿比留瑠比君

産経新聞の「極言御免」欄といえば私が「曲言御免」欄だと呼ぶほど誤りや強弁に溢れる阿比留瑠比のコラムだ。530日の記事の見出しは、「自衛隊に甘えすぎではないか」というもの。安倍官邸の隠れ宣伝係(実際には”隠れもなき“だが)の阿比留瑠比の記事だけに、安倍晋三首相の憲法への自衛隊明記の応援記事なのだろう。そんな性向は百も承知だからその宣伝行動には触れまい。今回はロジックについてコメントしたい。

自衛隊の創設は昭和297月に行われた。近年の内閣府による世論調査(政府統計に捏造が発覚することが多いので、この政府による世論調査の信ぴょう性には注意が必要である)ではきわめて多くが自衛隊を高評価している。このことを指摘した後阿比留瑠比は次のように書いている。

「これほど国民の信頼の厚い組織が憲法で位置づけられていない。勿論、現行憲法の施行時(昭和225月)には自衛隊は存在しなかったのだから、当初書かれていなかったのは当然である」

この文章に阿比留瑠比の限界を見る。国民の信頼の厚い薄いと、憲法のおける記載の有無は異なる次元にある。「お若けぇの、お待ちなせぇ」というセリフでは不足だろう。いうまでもなく現行憲法は日本が軍事強国にならぬようにとの目的もあって制定させたものである。形は明治憲法の改正であっても実態が押し付けであったことは明らかである。その目的から日本が決して再武装できぬように憲法は書かれた。戦力の不保持や戦争放棄条項がこれに該当しよう。「その時に自衛隊がなかったから憲法に書いてない」など小学生に笑われる愚かな言い訳ではないか。どうせなら嘘ももっともらしいものにすべきだ。これが新聞記者なのか?

私自身は58年前の、中学生、13歳の時に『日本国憲法失効論』を読み、それに刺激され、「憲法調査会報告書」も拾い読みした。そして憲法は全面的に書き換える、つまり新憲法的なものを作り形だけは現行憲法の改正手続きで済ますのが良いとずっと考えてきた。

国家の軍事力は、個人の正当防衛の権利という基本的人権と同様の基本的権利であろう。戦力不保持条項をそのままに、軍隊たる自衛隊を憲法に併記するなどという、自己矛盾を抱えた憲法改正という姑息なことなどをせずに正々堂々正面から全面的に変えるべきである。

何やら財務省の決裁文書の決済後改竄と似たにおいを感じる。同じ安倍政権下のことなのだからそうなのかとも理解できるが。

 


非科学的に過ぎませんか、平川祐弘の“正論”?

平川祐弘なる東大名誉教授が産経新聞(530日)の「正論」欄に寄せた一文のタイトルは『李王殿下と日韓関係の「盲点」』というものだ。

東大の現役教授の時からこの程度のものを書いていたのかとやや訝るが、国家基本問題研究所理事と聞けば、こんなものかと納得できるような気がする。およそ科学的思考とは縁遠い方のようだ。まず冒頭を取り上げよう。

「新天皇の令和の御代(みよ)となった。めでたい。万世一系の天子をいただく国に生まれてよかったと多くの人が参賀に集まった。個人の命は有限だが、百二十六代の天皇家は、古風にいえば天壌無窮(てんじょうむきゅう)、日本国民の永生の象徴として天地とともに窮(きわ)まりない」

「わが国には文字がなかった」(蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘)と『古語拾遺』で斎部広成が書いたから、「古代日本には文字がなかった」と断ずるのと同じ誤りを犯していぬのに気が付いていない。「万世一系」は室町幕府にも疑問視されているのを、北畠親房が「神皇正統記」で一系だと言い張ったけれど、だからと言ってそれを事実とするのは愚者である。学者・研究者としての大きな基本問題を抱えているようである。新天皇の即位の時に「万世一系の天子をいただく国に生まれてよかった」と感じて多くの人が参賀に集まった、とは単に平川の個人的思い込みである。その数も14万人と報じられたが、日本国には1億人以上、東京都だけでも約1,400万人の人が居住するのである。だから何だというのだろう。参賀者が全員東京都民だと仮定した場合には、参賀に来たのが1%、来なかったのが99%なのである。事象の基本的とらえ方が間違っているように感じる。

さて対句というものがあり「萬葉集」における柿本人麻呂の長歌などに多用されている。この平川祐弘の文章は対句に見せて対句ではない。「個人の命は有限」と「天皇家は天壌無窮」という対にならぬものを並べている。故人の命も天皇の命も有限であろう、天皇家という家系が無限なら、だれの家系も無限である。親なくして子は存在せぬのだから。論理的思考という面で問題ありと感じる。

「私たちは家族として先祖を敬い、国民として天照大神(あまてらすおおみかみ)を祖神とする天皇家を尊ぶ」

平川祐弘個人がどう考えようと勝手なのだが、それを単純に「一般化」して書くのはいかがなものか。

「国のために死んだ者は陛下の祈りにより慰霊される。死者と生者は、陛下の祈りにより結ばれる。そんな日本の過去と現在の統合の象徴だからこそ陛下には、権力はないが、権威が有る」

これも平川祐弘の個人的意見、あるいは願望なのだろうが、この意見では「国のためにではなく死んだ者は陛下の祈りの対象ではない」と理解される。では「国のため」か否かはだれが決めるのか?「死者と生者は、陛下の祈りにより結ばれる」に至ってはもはや妄想の域か。

「大陸から仏教が伝わったとき、固有の宗教文化を護持する勢力と大陸文化の受容を進める勢力が争ったが、聖徳太子は憲法第一条で「和ヲ以テ貴シト為ス」を国是とされた。今日の言葉でいえば神仏共存の宗教的寛容である」

これも問題だらけだ。聖徳太子の十七条憲法の一番目の冒頭は、

「一曰、以和爲貴、無忤爲宗。」である。神仏共存の宗教的寛容などではない。「逆らう事なきを旨とせよ」というところを知らぬとしか思えない。

また聖徳太子は宗教対立の末に物部守屋を滅ぼした蘇我馬子側に参加し、渋川の物部氏の本拠地の攻撃に参加しているのである。何が神仏共存か。

思い込みと誤りの塊のような内容に、平川祐弘の記事など読まぬほうが良いと感じた。よってこれより先の記事へのコメントはしない。

 


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