沖縄戦後75年、私にも語り継ぐべきことがある(1)

米国で白人警官に黒人の一般人が虫けらのように殺されるという事件が起きた。人種差別が根底にある。いや、差別というより白人の黒人に対する「優越思想」が背景にある。そして新聞には沖縄戦から75年が経過したとの記事が出ていた。この二つの記事が私に沖縄戦に関する”事実”の伝言をこれからの世代に残しておかなければならぬとの責務を思い起こさせた。勿論私は戦後の昭和23年生まれであるから沖縄戦を体験などしていない。然し体験者からその体験を伝承して欲しいと頼まれたように感じている。

私に話してくれた人は私が堺市立三国丘中学校に通っていた時の体育教師、酒井氏である。当時は団塊の世代がちょうど中学生で、校庭にはプレハブの教室が増設され、校庭はかなり小さなものになっていた。体育館などというものはなく雨が降れば体育は教室での自習となるのだった。そんな自習の時に酒井先生が「君たちには知っておいて欲しいことがある」と話し始めたのだ。酒井氏は沖縄戦の時に尉官であり、小隊長をしていたのではないかと思う。

沖縄戦の末期に米軍は沖縄に上陸作戦を実行した。もちろん日本軍はそれを阻止せんと陸側で迎え撃つ。しかし日本軍は既に兵站も兵員の補充も十分ではなく劣勢に立たされていた。酒井氏が強調したのは、「学校教育や新聞などに騙されるな。実際の沖縄への米軍の上陸作戦では黒人兵が先に上陸を敢行し、そのあと白人兵が上陸してきた。黒人兵は一番危険な上陸戦の先頭に置かれていて、いわば白人兵の弾除けにされていたんだ。米国は決して人種平等の国などではない」ということだった。

分かったような顔をして、みんな平等、多様性が大切などと声を張り上げるものがいるが、実社会は童話の世界ではない。実際に海外を歩いて自分の目で見てみよ。人種間の対立は想像以上に強いのだ。沖縄戦後でも既に75年、白人が現在でも黒人を虐げている米国、何も変わってなどいないように見える。(続く)

 


アメリカの病巣、民族間問題

米国で黒人が白人警官に公権力行使として、いわば因縁を付けられ、意図的に膝で首を圧迫され、呼吸ができずに殺害されるという事件が起きた。警察官が市民を守るのではなく殺すという事など単一民族(実際にはそうではないのだが)日本人には到底理解できないことだろう。しかしそれが多民族国家での当然の姿なのである。特に米国は、白人入植者が在地のネイティブアメリカンを圧迫し、遂には居留地に押し込めて、いわば日本における院地、別所の如きものにした。そして全土を握ると、アフリカから黒人奴隷を移入して人間としてではなく「奴隷」として扱った。南北戦争の後、奴隷解放が進められたが、それは奴隷でなくしただけで、米国を人種平等の国にしようとの考えではなく、あくまで白人が支配する国家を希求していたのだろう。しかし黒人の数が増え、ヒスパニック系の不法移民などが増えてだんだん国民に占める白人の数が少なくなってきたのである。当然の成り行きとして支配者であった白人は、少数になっても米国を支配することを考え始める。そのさなかに米国があると思った方が良いのではないか。

不法移民を米国は受け入れている。それはあくまでも見つかったら強制送還されるという「不法移民」としての立場のままだ。どうして米国は片っ端から追い出さないのだろうか。考えられるのは不法移民という、「弱い立場」の人たちを安価な給料で、白人が嫌がる仕事をさせるためではないだろうか。いわば「現代の奴隷」に近いもののように思える。彼らは、不法移民ということの発覚を恐れて医者にもかからずに生活をしているのだ。どう見ても人権の、平等の、という観点からはすばらしい国だとは思えない。根本問題は格差を持った多民族国家だからであろう。異民族の同化など、現実には不可能に近い。オーストラリアは移民国家だが、其の中では各民族がそれぞれの生活区を作っている。パースの中でも例えばセルビア人はある一区画に集中して居住し、未だに其の中ではスラブ語が話されるのだ。日本のNPOなんぞのパンフやHPを見ても本当の世界は分からない。いろんな分野において「グレタ」のような未学なのにヒステリックに騒ぐのが出現するのが一番社会にとって害のようにも感じる。勿論美しくない背景があるのが想像できることでもあるし。

 


奇妙な考え方が目立つ河合雅司

産経新聞に河合雅司なる客員論説委員がいる。6月21日の産経新聞「日曜講座 少子高齢時代」にはその河合雅司の「コロナ不況でブーム消滅か」という“論説”が載っている。元号が令和になった2019年の婚姻数が7年ぶりに増加したそうなのだ。しかし、今回のコロナ不況でせっかくの上昇傾向も続かないだろうとのこと。後段の小見出しは『テレワークで状況改善』というものだ。だが読んでみるとかなり無理な部分が見受けられる。少しコメントしよう。

「長時間労働と裏表の関係にある「夫の家事時間」はスウェーデンの2時間51分を筆頭に各国が2時間以上なのに対し、日本は41分に過ぎない。労働時間の短縮は夫の家事参加時間増への必要条件ではあるが十分条件ではない。オーストラリアで見聞したが、かの地では子供だけで留守番をさせた場合は罪になるのである。そのためもありベビーシッター制度が発達している。そういう日本とのシステムの差を抜きにして単に時間と行動のクロスプロットをするような相関の求め方はすべきではない。理科系であれば基本として叩き込まれるが文科系では間違った取り扱いをしていることが多い。化学反応で周知の律速段階の存在なども知っていなければならないことの一つだ。

「夫の家事時間が長い世帯ほど、子供が2人以上である割合が大きいとのデータもある」

これは逆ではないのか。子供の数が増えれば特に共稼ぎ家庭では物理的に妻の子育て作業に限界が来る。必然的に夫が家事参加を増やさざるを得ない。どちらが原因で、どちらが結果かを見極める能力も必要である。夫の家事時間をどう確保するかが2人目以降の出生数を左右していると言っている。単純すぎないか。参考のために書けば私の祖父の兄弟は14人である。

最後の処にはこうある。

「テレワークは雇用の流動化を促す。兼業など複数から収入を得る働き方が一般化すれば、不況下でも収入は安定し、婚姻件数は大きく減ることなく推移する可能性もある」

何やら「捕らぬ狸の皮算用」に聞こえる話だ。テレワークがもしも進めば、男女だけでなく人と人の出会いの機会は激減するだろう。婚姻の成立要因を在宅時間の関数だけと見るのは愚かというものだろう。勿論冗談だが、引きこもりの婚姻率は際立って高いのかね?やはり実験物理や実験化学を学ぶ必要があるのではなかろうか、文科系でも。

「テレワークをすれば兼業が出来て…」というのも安易すぎる仮定で大いに疑問だ。テレワークでこなせる仕事がどれだけあるというのかね。頭の中でシミュレーションできているのだろうか。

 


お若けえの、お待ちなせえ!

産経新聞大阪支部文化部の記者に渡部圭介なる人がいる。6月20日の「記者発」欄の「今「文化アラート」が鳴っている」なる記事を読んだ。「お若けえの、お待ちなせえ!」と駕籠の中から声をかけたくなった。

文化部の人だから良く知っているだろうが、舞台でものを演じる”文化”にも格というかランクがある。さしづめ芸人の「お笑い」などは下の下だ。物まね、浪花節、落語、講談…色々経て最上位にあるのが「能」ではないだろうか。人の表情を取り去っていった究極が能面である。「表情無きがゆえにあらゆる表情を描き出し得る」のだが、分かるだろうか。私は学生時代、大学の竹ノ内教授に誘われて宝生流謡曲のご指導を受けた。日本の文化や歴史に関する知識が得られただけでなく、「喚きと馬鹿笑い」に満ちた見世物・芸より格段に上の芸術というものが理解できたと感じている。

「文化部は新型コロナウイルスの感染拡大で紙面も記者の頭の中も真っ白になった」で記事は始まるのだが、感染拡大の自粛の中で取材スケジュールが真っ白になるのは理解できるが、頭の中が真っ白になるのは理解できない。それではただのアホであろう。そんな頭では能の世界など分かろうわけがない。大衆芸専門にした方が良いかもしれない。

「今、「文化アラート」が鳴っている。コロナ禍で大会が中止になり、涙する高校球児がいて、その気持ちに社会は共感を寄せた。でも、狂言や能が中止になって、関係者やファン以外で思いを寄せている人はどれだけいるだろう。表現の場が休止や休館となって関係者の収入は細るし、そもそも文化の世界に生きる人たちは、人の前で披露できないことが最も苦しい。」

高校野球大会が中止となり球児が泣くのに社会が共感を寄せたと書くのだが、それは同情であって「文化アラート」とは何ら関係のないことであるばかりか、大会が中止となって泣く高校生の競技は野球に限らない。特別視などしない方が良い。収入の減った人は飲食業も旅館・ホテル業も同じだ。そして次の文章がいけない。

「私も含め、「鑑賞」も「観戦」のように人々との距離を縮めないと、いずれその文化は危ういことになる」

日本語が、「私も含め」を含めるからおかしくなっている。分からないかな、自分の国語力。そして、

「日本の歴史と伝統が詰まっている古典芸能がなくなったら、いくら素人の私でも、日本人としての直感がヤバイと言う。」

だが、主語は「直観」だろう。述語は「言う」だ。直感が言うのか、「直観」を擬人化したのか、どこでこんな半端な日本語を覚えたのかは知らぬが、小学校で習わなかったのかねえ。

付言すれば、俳優の伊東四朗氏は一番嫌いな言葉はと聞かれ「やばい」を挙げた。「やばい」はやくざ語である。「べこでごろまいたらな。。。」といった言葉と同類である。およそ新聞記者が使ってよい言葉ではあるまいに。

産経新聞には社内教育もないのかもしれない。しかし校閲はいる筈なのだが…、機能しないのかな?それでも編集長はいるんだろう?

 


小林秀雄先生が「うろついている」などと山上直子、控えおろう、無礼では?!

山上直子の文章などそれほど読む価値がないと思っているが、不届き千万な表現を見れば物申さぬわけにもいかぬ。

産経新聞(6月23日)の「大阪特派員」の題名は『エトランゼの見た大阪点景』、勿論論説委員山上直子の筆である。冒頭をご覧いただきたい。

「道頓堀をうろついていた小林秀雄の頭に突然、モーツァルトの調べが鳴った−。思わず「ほんまかいな」とツッコミを入れたくなるような不思議なシチュエーションだが、本人が書いているのだから間違いない。」

あの隆慶一郎が小林秀雄先生の存命中は発表などできないと言って、小説の出版を控えたというほどの小林秀雄先生の行動を「うろついていた」と表現するとは…、何とも呆れた日本語音痴である。「うろつく」などという言葉は「犬がうろつく」「浮浪者がうろつく」といったときに使う言葉であろう。今では言わなくなったが、良家の子女であればそんな表現などするわけがない。以前にも指摘したがよほど日本語環境が悲惨な状況下で育ったのではないかと感じる。「思わず「ほんまかいな」とツッコミを」とくれば、それはもう吉本芸人レベルの教養の人だと想像がつく。こんなのが論説委員でいいのかねえ、余程力のある人の“紹介”で入った人なのかな。

倉橋健一の『人がたり外伝 大阪人物往来』では「また道頓堀を歩いていて、急に音楽が聴きたくなり、蓄音機屋に飛び込むようなこともあった。モーツァルトの…」とあるから「うろついて」は山上個人の表現であることが分かる。また、

「冒頭の小林秀雄は、終戦の翌年に発表された「モオツァルト」から」

とある。今少し文章を正確に書けぬものか。「冒頭の小林秀雄の話は…に発表された「モオツァルト」から取ったものである」とか。尤も引用ではなく「うろつく」など山上直子語に変えたからそうも言えぬが。

後段の、

「雑誌に連載された当時の冒頭部分は女性の言葉で語られているが、例えば「お宜しいんでございますので」が、現在の本では「かまひませんですやろか?」などとなっているという。上方婦人の言葉が、谷崎の観察によって作品に実現されていく過程だろう。」

最初に雑誌で発表された時の表現が、「現在の本では」変化していると山上直子は書くのだが、谷崎潤一郎は昭和40年(1965)に亡くなった故人である。「現在の本」ではなく「○○年の本からは」と書くべきではないか。まるで現在谷崎が存命で表現を改めているかのごとき書き方である。もっとも、「なっているという」という表現からは山上直子が確かめずに伝聞で書いていることが明瞭だ。

テレビ・ラジオの放送局のアナウンス部では、発音やイントネーションの教育を受けるそうだ(間違いだらけだが)。産経新聞も記者には日本語の書き方を教えたほうが良いのではないか。筆を折れ!と言ってはかわいそうか?

蛇足:題の『エトランゼ』が本文では「エトランジェ」になっている。注意力不足、とても校閲にはなれぬ。

 


また松下政経塾かえ?

アホな政治屋が出てくるたびに目につく松下政経塾、小野寺五典もそうだったが選挙運動での違法行為が目立つ。松下政経塾で「票を手にするにはなんといっても金です。但しばれると公選法違反になります」なんて教えていたんじゃないかとさえ感じる。そういえば「ワル」にしか見えない中田宏というのもそこの出身者だった。

今回の河合克行も松下政経塾の出身だという。

産経新聞(6月20日)の一面記事では、河合克行が最初に当選した平成8年の衆議院議員選挙の時にも地元議員らに現金を手渡していたという。そんなのを法務大臣に任用した安倍晋三首相の責任は極めて重い。だからこそ黒川を支配下に置いておきたかったのだろう。

気の毒なのは松下幸之助だ。私財をはたいで政経塾を設立した。しかし、考えてもみねえ、宿舎も食事も提供され、小遣いももらえ、授業料はただなんて条件に応募するようなものは端っからろくなもんじゃねえんですよ。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という先人の教えを松下幸之助は知らなかったようだ。自身はその教え通りにして大きくなったのにもかかわらず。

食いっぱぐれのスポーツ選手、元タレント、歌手まで知名度(知は知識の知ではありません)だけで国会議員である。ろくな政治にはならないのは目に見えている。

 


アヴェード ヴァスクレセーニィヤ(みちたけランチ)(295)

梅雨入りとの宣言はあれど、雨の降らぬ仙台なり。政権と異なり意図的に嘘をついているわけでもあるまいが、とにかく当たらぬのが特徴の天気予報であることよ。そう、本日(6月21日)も晴れである。そして何やら寒さを感じる低温である。

さて本日の特別ランチは『ハラコめし風リゾット』だ。リゾットそのものは豆乳と仙台みそ仕立てになっている。写真で分かるようにピンクのサーモンの上に赤いイクラが載っている。しかもかなりの分量だ。

特筆すべきは「海鞘サラダ」である。ポン酢ドレッシングが爽やかさを増す。本来は地元宮城の海鞘を使うべきところ今年は貝毒の発生があったため今しばらくは手に入らない。そこで本日のものは北海道産の「赤ホヤ」を使用している。この海鞘が旨い。癖が全くない。それにあの微妙な、時に女性の○○の香りとも形容される匂いもないのだ。癖と香りを取り除いた味だけの海鞘と言ったらよいか。これは美味なり、癖になりそうである。

 


園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(237)本社からの訪問者(7)若杉社長(続続続)

若杉社長のオーストラリアの各機関、各社訪問の際には、「白のストレッチド・リムジン」で移動するので手配する様にと本社から指示が来た。パースの石油鉱物省と宿泊ホテルの間は無料市内循環バスを利用しても5分もかからない。歩いて行ってもさしたる距離ではない。最初は本社の連中が土地勘がないから馬鹿なことを言っているのだと思った。然し聞いてみればご本人たっての希望だという。別にエルビス・プレスリーのような芸能人か、アメリカやアフリカの成金が乗るような『白いストレッチド・リムジン』なんかに乗らなくてもと思うばかりか、何もそんな恥ずかしいことをしなくてもと思ったが、本社からの命令だという。それも全滞在先での移動はそのようにせよというのだ。やむなく旅行会社に手配を依頼した。

すぐさま、レッツゴーオーストラリアの女性社長から電話がかかってきた。『白いストレッチド・リムジンなどを、それもキャンベラなどでは道路の反対側に移動するだけだよ。そんなところで使えば、頭がおかしいと思われるよ。どこかの成金の王様じゃあるまいし、黒のベンツ辺りにしたらどうだろう』というのだ。極めて尤もな話なのである。しかし、バカと思われようとオーストラリアの市民に笑われようとそれが社長の命令なのである。通産省の審議官までになった人なのだから海外における常識くらい知っていると思ったが、実際には何も知らないようだった。ご本人は「恥をかき捨てて」別の地に移動していくから別として、現地に駐在しているものにとっては、関係会社の人だけでなく、一般市民からも非常識な社長がいる会社と囁かれる状態になるのである。これも日本の石油開発が上手く行かない理由の一つではないか。石油開発会社の社長には、成金の派手なタレントみたいな人間では務まらないのである。当時、多くの方から元気づけの御言葉を頂戴したものだ。

 


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