木村汎の北方領土に関する安倍政権の日露交渉の誤った方針への警鐘が続く

昨日のブログでは北海道大学名誉教授でロシア(ソ連)問題の専門家である木村汎が寄稿した27日の「iRONNA発」欄、211日の「正論」欄の内容について紹介し、コメントしたのだが、218日の産経新聞の「iRONNA発」欄にも27日のものと酷似した内容の寄稿がなされている。https://ironna.jp/article/11868?p=2で全文を参照できるがポイントだけ紹介していこう。まず要約のような部分は、

「北方四島は我が国固有の領土である。にもかかわらず、最近の安倍晋三首相は「不法占拠」された事実を意図的に封印し、ロシア側に一方的に配慮する。交渉事とはいえ、ロシアの言い分を丸のみにして大丈夫なのか」

とある。最後の文章は“反語形”だ。つまり「大丈夫なのか?大丈夫なわけがない」と言っているのである。換言すれば安倍晋三首相の対ロ政策を間違いだと断じているのである。そして27日、11日、18日と畳みかけるように繰り返して主張していることで、「安倍首相がとんでもないことをしでかしている。何とかそれを止めなければならない」との居ても立ってもいられないとの憂国の情が煮えたぎっていることが伝わってくる。私もまったく同感である。

内容はこれまでとほとんど同じだから省くとして、最後の部分だけ紹介しておく。

「ロシア人は、席を憤然と蹴って交渉会場を後にする毅然(きぜん)とした相手との間に初めて真剣な話し合いを行う。ところが、安倍首相は「己とプーチン氏の間で必ずや平和条約を結ぶ」と交渉のデッドライン(期限)を設け、実際次から次へと一方的な譲歩を行う。そのような人物とは決して真剣に交渉しようとは思わないのがロシア外交の本質である」

わかりやすく言えば、「安倍晋三首相などロシアからはまるっきり相手にされていないぞ、バーカ」といった感じなのだ。しかし、こんなバカげた売国奴政策をするにはそれだけの理由があるはずだ。多くは安倍晋三という目立ちたがり、歴史に名を残したがりとの個人的な性質のなせるところと読むのだが、安倍晋三首相の加計問題、外国人受け入れ、働き方改革…などに見る親しい人への便宜供与を国家政策で実現との、或る種公私混同の最たる振る舞いを知れば、この対ロ政策も誰かに頼まれたのではないかとさえ思える。最近報道されたトランプ大統領に頼まれたからノーベル平和賞受賞対象者に推薦したなどとのバカげた行動からはひょっとしてトランプ米大統領に指示されたのかもしれないとさえ思うようになった。その理由はまだ見えてきてはいないけれど。

とにかく日本国民ファーストではないように見える。

 


日露交渉、木村汎の意見に同感だ

北方領土に関する日ロ交渉について木村汎がまさしく正論を述べている。一部の学者は北方領土問題をビジネスにしていて、交渉が延々とまとまらないことを望んでいると鈴木宗男が言っていたようだが、彼にそれを言われたくはないと感じる。北朝鮮の日本人拉致問題などにもいかにも協力者のような顔をしてそれをビジネスにしている学者も政治家もいるのは確かなのだが。

さて27日の産経新聞の「iRONNA発」欄に「首相は正気か、北方四島『固有の領土』となぜ言えないのか」との意見を木村汎が書いている。北方領土の返還を求める全国大会の映像を見れば、ハチマキには「平和条約の締結を…」などと書いてあるではないか。国境画定無き平和条約などないのだから、安倍首相は北方領土返還に関して強い意志などすでになく、ロシア側の言いなりで平和条約を締結するつもりなのではないか。それでは領土返還交渉ではなく、『売国』交渉ではないか。

その木村汎の意見の中に、

「交渉のABC、とりわけロシア式思考や行動様式に無知と評さざるを得ない。ロシア人は、席を憤然と蹴って交渉会場を後にする毅然(きぜん)とした相手との間に初めて真剣な話し合いを行う。「己とプーチン氏の間で必ずや平和条約を結ぶ」と交渉のデッドライン(期限)を設け、実際次から次へと一方的な譲歩を行う。そのような人物とは決して真剣に交渉しようとは思わないのがロシア外交の本質である」

とあるが、その通りだ。私自身、6年間のサハリン駐在の間に数えきれないくらいソ連側との交渉を経験した。また日ソ共同委員会の下部に設置されたワーキンググループの日本側代表も何度も務めた。席をける場面も、両論併記の物別れプロトコールも経験した。そしてソ連側に信用されるようになったのである。

211日の産経新聞の「正論」欄にも木村汎の意見が掲載されている。一部引用しよう。

「ロシアの対日接近の意図は明らかである。米国、先進7カ国(G7)、中国に対する牽制(けんせい)のカード、アジア太平洋地域への参入、日本からの経済、科学技術力の引き出しだ。これらの狙いを達成するためにプーチン氏が取っている戦術は単純明快である。例えを用いるならば「うなぎの蒲(かば)焼きの匂いを嗅(か)がせる」だけによって、日本からロシアが必要なものをできるだけ多く、かつ長い期間にわたって入手する手法だ。安倍首相は一刻も早くこのクレムリン戦術に気付き、逆にロシア側を焦らす時期に差しかかっている」

要するに安倍首相がロシア側の戦術に気づいていないことを憂いている。しかし安倍首相が自ら対露交渉方針を策定しているのではないだろう。秘書官、補佐官という首相を取り巻く連中にそういったことを理解できるものがいない悲しい現実があるということだろう。

明らかな間違いであってもそれを実行するのが「政治決断だ!」などと、もしも安倍首相が思い込んでいるとしたら、日本にとって極めて不幸なことである。

 

 


恐れ多くも天皇陛下に対し奉り…、安倍首相の軟弱な対応はなぜ?

韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、アメリカのブルームバーグのインタビューで、慰安婦問題に関し、「安倍首相か天皇陛下が謝罪するのが望ましい」、「戦争犯罪の主犯の息子がおばあさんの手を握り、心より申し訳ないと言えば問題は解消されるだろう」と発言したのに対し、安倍首相は「発言を読んで、私は本当に驚いた。外交ルートを通じ、議長の発言は甚だしく不適切、極めて遺憾である旨強く抗議し、謝罪と撤回を求めました」と述べ、、河野外相は「金杉アジア大洋州局長から、在京の韓国大使館に申し入れた。韓国側が誠意ある対応をすると期待している」と述べた。

13日の衆議院予算委員会では、河野外相は「文議長の発言は甚だしく無礼だ。その後も同じ趣旨の発言を繰り返し、極めて遺憾だ。これまでに韓国側には5回ほど抗議し、謝罪と撤回を申し入れている。現時点で謝罪や撤回に応じるとの反応はない。韓国側から誠意ある対応があると期待し、注視していきたい」と述べた由。安倍首相も「…引き続き謝罪と撤回を求める」と答弁している。

何を腑抜けのようなことを言っているのか。日本の対応はどんなことをしても「口頭で」抗議するだけなのを韓国は十二分に学習して知っている。5回抗議しようが100回抗議しようが韓国にとって痛くもかゆくもない。そんなもの屁の様なものと言ったらよいだろうか。「韓国に誠意ある対応を期待する?」、この河野外相という人はバカではないか。誠意ある対応をするような連中なら天皇陛下に謝罪させろなどとは言わぬだろうに。

安倍首相も同じく「謝罪と撤回を求める」というだけである。こんな対応の人を国民会議が支持しているのが不思議である。他の問題ではない、『恐れ多くも天皇陛下に対し奉り暴言を吐いた」のだから、安倍首相の好きなかつての、すなわち戦前の日本ならあわや「国交断絶」か「戦争」かという場面ではないのか。韓国の韓日議連は文発言を支持したとのことだ。それに対し日本の日韓議連は沈黙を保っているようだ。韓国側寄りに考え、行動をする日韓議連に参加している議員など次の選挙では投票しないことだ。私は争いは好まないが、この場合は韓国に痛みを実感させる行動をとるべきである。象徴天皇とは言え、天皇の行動に関して韓国に指図されるいわれはない。日本という国家に対する侮辱ととらえなければならないのだ。

また、ミュンヘンで河野外相が韓国外相と会談した際に、河野外相が抗議したと外務省が発表したのに対して、韓国側はそのような発言などなかったと発表している。共同記者会見も開かず、共同声明もないのだから、せめて会談の録音データでもなければ厚顔無恥の韓国に翻弄されるだけであろう。証拠を持っていないのであれば日本の外務省はなんとも間抜けなものと言わざるを得ない。

ブログに書くことすら馬鹿らしくなる。


園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(177)国内残存ポテンシャル評価と国内探鉱の出口計画

予想発見埋蔵量の算定結果は既に国内の残存鉱量は微々たるもので、探鉱対象とするような地域ではないことを示していた。試掘数などがが統計量を満たさない北海道においてはヒストリカル・マッチングを利用しての予測は不可能なので、今少し勇払型の油・ガス田発見の可能性があるかも知れないと考えた。そして石油資源開発設立以来、摘出した試掘対象構造リストでは、すでにDランクにまで試掘を実施し、これまた試掘対象構造自身が払底しているだけでなく、油田成立を仮定した場合でもその経済ポテンシャルが低すぎることが明確になった。

以上から、国内の探鉱は北海道を除いては既に終焉を迎えていると判断できた。しかし現実に探鉱関係の社員は本社だけでも60人余を数えていたのである。物理探鉱部、地科研、SKE、技術研究所などにも関係するものが多数いたのである。どのようにソフトランディングさせていくかが大きな課題となっていた。そして次のような基本方針を考えた。

  • 北海道の勇払油・ガス田における試掘という名の探掘(国の補助金を利用するため)と、新潟県の片貝ガス田の探掘などの作業が継続している間に国内探鉱終焉に向けて準備を進める。
  • 年間1億円の鉱区維持費用のかかる海洋鉱区を順次放棄していく。
  • 国内探鉱終焉後に悔いを残さぬために、国内に関して最後となる地質コンパイル作業を実施し、その正式評価レポートをもって国内探鉱終焉の決定根拠とする。
  • 国内探鉱のサポート業務を担当してきた技術研究所の閉鎖を考える。
  • 探鉱は海外業務に適性と能力のある要員に絞って少数精鋭化した上で、海外に活路を見出す。(M&Aによるグローバル化も考えていた)。

といったものであった。

余剰となった人員については、レイオフとせざるを得ないと考えていた。ある程度の給料を仮令定年まで払い続けても、事務所スペース、机やPCなどの備品、通勤手当、さらには失業対策事業のような無駄ワーク・見込みのないプロジェクトの排除による縮減効果のほうが大きいと考えていた。

つらい仕事だが、鉱山会社の宿命ともいえる、『枯渇(堀尽し)』に対処せざるを得ないのである。つらい仕事を避けて、先送りすればするほど傷は深く、却って社員の痛みが増すのである。

そして実際に国内コンパイルグループを編成したのである。これが私が48歳で探鉱部次長の時のこと、今から22年前のことである。ちなみに、国内探鉱が末期にあるとの認識は私が石油資源開発に入社した昭和48年には社内の探鉱開発技術会議において既に発表・議論されていたものである。それは遥か45年も前のことになる。

 

 


嗚呼、細野豪志。その名とは異なり何と志の弱いことか

細野豪志、私はこの人が好きではない。顔にも、発言にも、行動にも、政治に対する志もすべてに成熟さが見えない。豪志という名前とは反対の志の弱い人に見える。その生き方には貫く筋がないようだ。

およそ国家、国民を…といった志を持つ人間なら、女性タレントと公衆の面前でのキス騒ぎなど起こさないはずだ。もし起こしたら、政界から潔く身を引くだけの意識もない。要するにその生き方は優柔不断そのものであろう。

産経新聞(211日)の「iRONNA発」欄に寄稿されている上久保誠人の「二階派合流の政治家、細野豪志に同情する」にその”情けない軌跡・行動がまとめられている。細野豪志を理解するのに役立つ記述が多い。

「細野氏が迷走を続けた末に、とうとう自民党に走った背景には自民党に入りたくても入れなかった「新党保守派」としての運命があった」

「日本の選挙では「地盤・看板・カバン」の三バンが重視され、それを持たない新人が政治家になるのは難しい。議員になりたくても、地元選挙区には自民党現職がいるだけでなく、その後継者まで既に決まっていることが多かった」

「保守系新人がどの党から立候補するかは、政策志向や思想信条の違いではなく、単に選挙区の事情なのである」

これらの部分だけを読んでも、その志とは関係なく、議員になるにはとの視点で行動が決まっていることが分かる。政治への志と信条など二の次で、当選に向けてのお題目に過ぎない議員は数多い。細野豪志だけではないが、ただこの男の場合は度が過ぎるのである。

上久保は細野豪志を保守だという。そして自民党に入党したかったのだという。しかし選挙区には自民党の候補者がすでにいるから新党に入ったのだともいう。待て、保守の人間を自負しながら国会議員になりたいからと、主義をまげて結局は民主党という保守とは正反対の社民党までが母体の政党に入るのである。そもそも国家、国民のために信ずる政策を実現したいというのではなく、ともかく議員になろうとしたところに『なまずるい』正体が見えている。小池百合子の希望の党の”大番頭”のような顔と態度で、いい気になっていたのは多くの国民の記憶に新しい。

そしてその変節と、生意気な態度から信用を失い、相手にされなくなった。そうしたら今度の二階派入りである。政策を実現するには与党にいなければ…というのだが、どうみても議員としての生き残りのための振る舞いに見える。なぜ政界をきっぱりと去らぬのか、その未練たらたらの行動に不快感を覚える人が多いのではないだろうか。上久保は「同情する」と書くが私は「同情になど値しない」と感じる。

この行動について、産経新聞(214日)の「直球&曲球」欄に宮嶋茂樹が「『細野センセイ』の後に続くのは…」と題する一文を寄せている。その中で似たような変節の例として、名前は書いていないものの、社民党の辻本清美が民主党政権で権力の蜜の味を覚えたら、社民党を捨て民主党に鞍替えした故事に触れている。ふと気が付けば二人とも関西の出身だ。「おもろきゃええねん」の政治版、「当選すりゃええねん」だとしたらそれこそ「排除」すべきものではないか。

上久保の記事は以下のURLで確認願いたい。

http://www.iza.ne.jp/kiji/column/news/190211/clm19021110300003-n3.html

 


次期首相を望む岸田氏の日本語レベルが気になる

210日の産経新聞の一面トップ記事は「『ポスト安倍』岸田氏に覚悟迫る」というものだ。岸田氏に行動力、決断力が欠けているのはすでに周知で、このような人が外交、防衛といった緊迫しつつある分野に力を発揮できるようには見えない。「拉致問題はこの内閣で必ず解決。。。」などとオオカミ少年のごとく何年にもわたって繰り返し言明する安倍首相も実際には、韓国の「告げ口外交」と基本的性格が同じの「お願い外交」で臨んでいるのだから、さらに不安になるのはやむを得ないことだろう。米朝首脳会談があるからと、拉致問題へのお口添えをトランプ米大統領にお願いするのだそうだ。

さてそのような能力の前に、当該記事の中の岸田氏の発言を見て驚いた。日本語がオカシイのである。これが教養人、知識人の日本語か?例示する。

6年以上も強力に政権に運営してこられた。これは本当にすごいことですよ」

この記事を書いたのは長嶋雅子、田中一世の両記者だが、次期首相になるかもしれぬ自民党の派閥の長の発言であり、一面トップに掲載する発言なのだからよもや間違いなどないと信じて、そしてそれを前提にしてこのコメントを書いていることを承知しておいてほしい。

「政権に運営してこられた」など小学生クラスの間違いである。「政権を運営する」に決まっているではないか。「来られた」も変だ。尊敬表現ならば、「いらっしゃった」「なさってこられた」としたほうが良い。教養レベルの落ちる、カス(大阪弁)のような議員が増えた昨今、その連中に影響されたのかどうかはともかく、日本語において国民の範となれぬようなものが首相になどなってほしくはない。

さて、130日の「正論」欄に「英語偏重教育は国益にかなわぬ」なる九州大学の施光恒氏の意見が掲載されている。冒頭の引用文が素晴らしい。

「「一国の国語は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる公義感覚を固結せしむるものにて、即(すなわ)ち、国語の一統は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり」。日本で初めて本格的な国語辞典『言海』を作った明治の文学者・大槻文彦は、こう国語の大切さを指摘した。」

大槻文彦は旧伊達藩士、仙台藩校養賢堂で1歳違いの我が曽祖父と机を並べた。曽祖父の『天文要覧』に序文を寄せている。知られていないかもしれないが、大槻文彦は幕末、仙台伊達藩の命により我が曽祖父と同様に政情探索の任に就いていた。

さて、国語の重要性はこの大槻文彦の文でも明らかだが、日本政府は小学校からの英語教育を押し付けようとしている。その時間を英語以外の学習に振り向ければ、わが国の将来はもっと期待できるものになるだろうに、愚策と言わざるを得ない。これからの社会で、一番AIで対処、置き換えが可能となるものに、時間と労力を割くとは。。。。英語教育業に首相官邸に近い人でもいるんではないかと疑う。

さて、その小学校からの英語教育の問題点を施光恒氏は以下のようにまとめている。

第1に、教育における経済的格差の拡大が予想できる。

第2に、国民の連帯意識が損なわれる恐れもある。

第3に、基礎学力の低下である。小学校から英語を学習しても効果は限られる。言語学者の永井忠孝・青山学院大学准教授が指摘するように、むしろ幼少期からの外国語学習は母国語能力の発達を阻害する恐れもある。

そしてシンガポールでの小学校からの英語・中国語併用教育の結果について、

「英語でも中国語でも簡単な会話はできても難しい文章の読み書きは不得手な「セミリンガル」になってしまう場合が一番多いという。日本でも将来、日本語も英語もきちんと使えない子供たちが大量に生み出されてしまうのではないか。」

と中途半端な言語能力の人間が増えるとの大きな懸念を示している。

人間の脳は言語で思考を行っている。それゆえ言語能力の低いものは論理的な思考ができない。中途半端な言語能力の国民が技術立国に寄与するとは考えられない。岸田氏の発言というものを読んで、英語教育などぐっと少なくして、日本語教育やその他の理科、数学教育に振り向けるべきだろうと強く思った。

 

 


親しき友を失った。阿部清典氏を悼む

2011年の東日本大震災は東京の赤坂のカフェで友人ご一家とお茶を飲んで歓談しているときだった。そしてその年の1214日に父祖の地、仙台に一人移り住んだ。白内障で目もよく見えぬ状態であったので、地元になじむにも大変だった。それでも河原町の人たちはもともと仙台の人なんだから「来たんじゃなくて、帰ってきたんだよね」と、戊辰の役以来約150年ぶりに仙台に戻ったにもかかわらず、とても温かく接してくれた。そしてここでの生活も8年目になっている。毎日昼食をとるすし屋さんで昼(飯)友ができた。当初は何人もいたが定年でいなくなり、ここ何年かは昼友はたったの一人になった。その昼友が阿部清典氏である。

阿部さんは昭和23年生まれだ。つまり私と同い年である。同じ時代を生きたことで、共通の話題も多く仲良くなった。お互いにボーイスカウトに入っていて、何と御殿場で開催された日本ジャンボリーにも参加していた。当時皇太子ご夫妻であった、現在の天皇皇后両陛下が、大キャンプファイヤーに向かって歩いていく様子の記憶がぴったりだったので、その時すぐそばにいたに違いないと話したものである。同じ時間と空間を共有した関係だったのである。

すし屋でのランチ後は阿部さんの、アーチ設計の事務所でコーヒーを飲みながらしばし雑談をするのが日課になっていた。執筆に明け暮れる毎日なのでその阿部さんとの会話が私の会話のすべてに近かった。

阿部さんから券をいただき昨年初めて相馬の野馬追を見に行った。常磐線の原ノ町駅を知った。南相馬市である。その南相馬市原町区(旧原町市)出身の女性と再婚することになったのにも阿部さんのご尽力がある。ご縁の深さを感じる。

阿部さんは131日から1週間の米国旅行に出かけた。出発の前日も一緒にコーヒーを飲み、語った。出発当日にも「行ってらっしゃい」とSMSを送った。元気だった。それなのに帰国の日に連絡がなかった。そしてその翌日阿部さんが倒れたと知った。そして亡くなってしまった。豊かな白い髪、大きな目、そして大きな体の阿部さんが瞼に浮かぶ。仙台の習慣や地理などを教えてくれた阿部さん、相双地方の歴史も教えてくれた阿部さん、画伯と呼ぶほど絵が得意だった阿部さん、野鳥にも造詣が深かった阿部さん、そして何よりも駄洒落が得意だった阿部さん、この文章を書いている今も涙が出てくる、止まらない。寂しい…

ヘモグロビンA1cが上昇したときに、薬を使わずに治した私の方法を試すといって努力した阿部さん。血糖には何ら問題がなくなっていた。

しかし、南相馬市の門馬元市長の昨年秋のご逝去後にかなり気落ちしていた阿部さんを実は心配していた。でもそれ以上に一人暮らしの私のことを心配してくれていた。ありがとう阿部さん。南相馬のご縁で得た妻とともに、安倍さんの思い出を胸に、感謝の心とともに生き抜いていくつもりでいる。安らかに眠られることを心から祈る。思い出と気持ちは書き尽くせない。

「…我一人 不思議に命永らえて…♪」との軍歌「戦友」が頭の中に流れているようだ。清典さん、いろいろ、ありがとう

園田 豪


靖国神社への天皇御親拝への櫻井よしこのコメントはやや不遜ではないか

産経新聞(24日)の櫻井よしこの「美しき勁き国へ」の題は「靖国めぐる『魂の交流』」である。前半の内容はアーリントン墓地への日本の首相らの献花と日米兵士の交流話などである。そこに気になる部分があった。

「緊密な日米関係を反映して、今上陛下のアーリントン墓地ご訪問は複数回にわたる。皇太子時代に2度、天皇陛下としては6年6月に献花なさった。

この間、日本の戦死者の霊を祀(まつ)る靖国神社には、日本の要人は足を運んでいない。寂寥(せきりょう)感は拭い切れない。だが天皇御親拝がないのは陛下のお気持ちとはおよそ無関係だ。厳密にいえば、天皇の日々の行動の中に私的な行動はないと考えるべきだとの指摘(高森明勅『靖國問題』、青林堂)どおりであろうから」

櫻井よしこは天皇陛下の靖国不参拝の理由、気持ちを確認したわけではあるまい。それなのになぜ靖国不参拝は天皇陛下の気持ちで決まったのではないといえるのか。続く文章では「天皇の日々の行動の中に私的な行動はないと考えるべきだとの指摘(高森明勅『靖國問題』、青林堂)どおりであろうから」となっていて、まったく自信などない様子である。このように、天皇の行動に天皇陛下の気持ちが関係ないなどというのは不遜であろう。

もし天皇の行動に天皇陛下御自身の意思、意向が反映されていないのなら、先のご退位を希望するお言葉の表明はなぜ行われたのか。櫻井よしこの考えは明らかに間違っている。またアーリントン墓地への天皇陛下の献花は天皇陛下の意思の反映ではないのか。

もしも天皇陛下の意思が反映されずにすべての行動があるのなら、その行動を指示しているものが存在するはずである。それは宮内庁か?いや宮内庁をも支配下に置く安倍官邸か? 天皇は政治的な発言も行動もできないことになっているが、逆に天皇を政治的に使うこともできないはずである。アーリントン墓地への献花など日米の政治的なマターなのではないか。象徴天皇が国事行為だけをしていれば問題はなかろうが、それ以外の行動をするときにはだれが指示し、だれが責任を取るのかをはっきりしておくべきだろう。

憲法改正を言うのなら天皇制にかかわる問題を整理し解決しておいたほうが良いのではないか。とにかく、こうであってほしいとの個人的願望・期待を事実のごとく表現する櫻井よしこは、客観性の欠如という点でジャーナリストとして不適格に見えてしまう。


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