産経新聞の注目すべき記事

8月18日の産経新聞には注目すべき素晴らしい記事があった。「オピニオン欄」の「モンテーニュとの対話 6 嗚呼、英会話コンプレックス(文化部 桑原聡)である。小学校における英語教育に関する意見であるが、私とほぼ同意見である。ここでは一部を紹介するしかないが是非全文を読んでいただきたい。何時もの論説委員が書いた“ぬるくて筋のない”ものと比べ、格段の差である。一部だけでも十分に論理力、文章力そして説得力が分かるものだ。

「英会話を学びたければ学べばよい。ただ義務教育となると話は違ってくる。思考の幹となる母語が定まらぬ時期から強制的に英語を学ばせることが果たして理にかなう事か」

「教育とは国家百年の計である。中教審の答申が前提にしている状況認識は近視眼に過ぎるように思う」

「(モンテーニュが学ばされた)ラテン語はフランス語の先祖にあたる言葉だということを忘れてはならない。ラテン語を身につけることでフランス語の豊かな使い手になることもできるのだ。それはモンテーニュ自身が実証している。わが文科省は日本人の英会話コンプレックスに後押しされるように、文字も違えば構造も異なる、日本語と縁もゆかりもない言葉を母語の不完全な小学生に強制しようとする。子供たちの日本語を壊そうとしているのかしらん。 モンテーニュが受けた特殊教育から真に学ぼうとするなら、小学校でやるべきは英語などではなく漢文の素読であろう」

(注:括弧の文章及び太字などは園田豪による)

付け加えるなら、文科省が計画しているのは英語ではなく米語なのではないか。マイナーな米語を敢えて教える日本は米国への“配慮”が何事に関しても優先されている。それこそ政治に行政が歪められている表れなのだろう。

 


「岐路の私立大学」と言うが、酒井日本私立大学連盟常務理事の意見には納得できない

私学の発祥は幕末維新期に遡る。その通り、江戸時代まで藩校にしても武芸道場にしてもその主は幕府或いはいずれかの藩の役職についていて俸禄を得ていて、門弟たちから”授業料”のようなものを受け取ってはいなかった。このことは曾祖父が著わした『徳川制度史料』に併録されている体験録からも読み取れる。教育のビジネス化は福沢諭吉が慶応義塾という有料の塾を開始した時に始まるのではないだろうか。

日本私立大学連盟常務理事の酒井正三郎中央大学総長は「私大は皆ギリギリのところで経営しています。そんな現実―また窮状に国として向き合うべき時だと思います」と産経新聞(8月16日)の記事で述べている。その理由は「大学進学者の増大化や団塊ジュニア世代に向けた臨時定員増措置に迅速に対応し、主として受け入れてきたのは私大でした」しかるに「年間公財政支出は…(中略)…国立大生の218万円に対して私大生は17万円(平成26年度)。国私間格差」があるので「私学助成の底上げは必要です。…(中略)…私大に補助金を交付するようなかたちで考えることには抵抗感があります。私大はそれぞれの建学の精神や理念に立ち、独自性、自立性を維持しながら我が国の教育に貢献してきました」ことを考慮の上「一定の実績を満たした私大については助成を厚くし、国公立大であっても実績が足りない場合にはその助成分を少しずつでも私大にまわす。そんなシステムの導入を考えるべきではないでしょうか」

この論理(?)には我田引水的な匂いがする。そもそも私大に建学の精神があり、官学のように政府に頼らぬ独立自尊の精神があったことは明らかである。建学の精神があるからと主張するのであれば経済的にも独立しているべきではないのか。政府が干渉しないような形で助成金が欲しいとは虫が良すぎると言うか安易に過ぎる。表向きはどう言おうと、経営が上手く行かなくなったから助けてくれと言っているのが実態に見える。

学生一人当たりの年間公財政支出をただ持ち出すのはフェアではない。九九もできぬような、ろくに漢字も読めぬようなものを”推薦“なるバイパス経由で言わば”野放図”に受け入れたために学生数が異常に膨らんでいるのだから一人あたりの金額が少なくなるのは当然である。それを以て格差と呼ぶのは非科学的に過ぎないか。学生数を減らし、学生一人当たりの助成額を増やせばよい。そのためにはビジネスの形で“利を求めて”作ったような無用な、単なる金儲けの私大をなくすことであろう。如何なる業種も状況の変化に応じて、生産調整も業者数増減も行っている。団塊ジュニアを受け入れるために増やしたものが、この少子化の中で減らぬ方こそ奇妙ではないか。

私自身の経験を語ろう。私は静岡大学を経て東京大学の大学院に進んだ。官学一筋である。学習塾には一度夏期講習というのに参加しただけである。その理由は経済的な問題だった。大学院の時代でも授業料は月額にして1,000円だった。国私格差と言うなかれ、その授業料の安さがなければ私は進学できなかったと思う。途中からは、兄の事業失敗に伴って授業料の減免も受けた。私は、能力と意欲のある者は無償で国立大学で勉学・研究ができるようにすべきだと思っている。援助・助成すべきはチンタラ遊んでいるが如き名ばかり学生ではない。

経営が苦しいのは自らの経営の失敗が原因だろう。助けてくれというならまだしも、助けて当然だろうと言う態度には、だからこそ助成などすべきでないと感じてしまう。これが“教育者”の言葉か。「泣き言」にしか聞こえない。私大という業界自体のリストラが先だろうに。脚下照顧!

 


仙台市長名の文書に「公印省略」とある。それでは真正なる文書か分からぬであろうに

仙台市水道管理者である仙台市長名の文書が配布されてきた。「下水道町内調査のお知らせ」というものである。内容に関しては特にコメントすべきところはない。しかし「仙台市長」の文字の右に「(公印省略)」と印字されているのだ。

公印というものは文書が真正なることを証するために用いるものである。勿論公印が不要な文書というものもある。しかし、この文書には公印が必要だったはずである。なぜならばわざわざ「公印省略」と書いたのだから。

必要な公印を省略することが恣意的に行われて良いものか。良い筈はないだろう。仙台市は届け出るものが「印鑑省略」と書いて提出した文書を受理するのか?

確かに収入印紙の貼付を省略する場合がある。しかしそれは税務署に届け出て許可を得て、或いは法的根拠に基づいて行っていることだろう。公印を押すべきものが自己の裁量で「公印を押さなくても良いことにする」なんて行政を奥山市政は行って来たように思えてしまうではないか。

原本に公印を押して各戸配布文書はそのコピーにすれば済むことである。なぜ「労を惜しむ」、仙台市職員よ。

郡新市長に替わるのを機会にもう少し仙台市を変化させてほしいものだ。

 


韓国での邦人避難、「5.7万人を収容する容積の存在」と「収容できる」とは意味が異なる

米朝軍事衝突の時は韓国も、日本も軍事衝突の当事者となっている。北朝鮮は最強の戦力である米軍を攻撃するために米軍基地をも有する韓国と日本に攻撃を加える可能性が高い。距離的にも極めて近い、大砲の射程距離にあると言うソウルなど文字通り火の海になることを想定しておくべきだろう。

これに備えて日本政府は韓国政府が韓国全土で指定している避難所(地下鉄、地下駐車場など)に邦人全員を収容できることを確認したのだそうだ。外務省によると、在韓法人が3万7千人で、観光などの短期滞在者が1万9千人だとのことだ。

これで安心などと思ってはいけない。調査・確認したのは物理的に収容できるか、すなわち避難所の収容容積が十分だったという事を意味するだけだろう。容積が十分でも有事の際にどのようにして避難所に逃げ込むかについては確認されていないのではないか。在韓邦人として居住しているものなら日頃から避難所を確認しておけば避難は可能だろうが、各地を移動中の観光客をどのように避難所に誘導するのか。ソフト面が伴わなければ避難準備ができていることにはならない。

もう一つの大問題がある。日本国内での避難ではないという事だ。しかも常日頃「反日」を国是としているような国のしかも戦争中という混乱の中で避難所に邦人が快く受け入れられるかが大いに疑問なのだ。ただでさえ、理性ではなく感情が先に出る韓国の国民性を考えれば安全な避難を期待することは難しいのではないか。

かつてジャカルタ騒乱の時、国外退避となった我々のバスを先導し、警護してくれたのはインドネシア国軍であった。平時における騒乱でさえそうなのである。戦時には軍は敵に対応しなければならない。避難所への安全な誘導が日本の大使館や領事館で出来ると思っているのだろうか。その方面の能力などあろうはずがないだろう。

国民の安全を考えるなら中東の一部のように、渡航制限をすべきだし、自己責任を徹底すべきだと思う。居留民保護のために韓国の了承の有無にかかわりなく自衛隊を派遣して邦人救出ができない(しない)のなら、そうせざるを得ないのではないか。

 


アヴェード ヴァスクレセーニィヤ(みちたけランチ)(166)

本日の特別ランチは豪華そのものだった。何とメインは愛媛産の鱧の米粉揚げあんかけである。あんかけには宮城の枝豆とみょうがが入っている。夏の味と香り一杯の料理だ。関西、いや東京でも夏には冷えたガラスの器に「鱧の梅肉和え」が提供されることが多い。しかし宮城ではそもそも鱧が獲れないのである。だからこその愛媛産なのだが、普段目にする鱧と異なり、分厚くて大きい鱧だった。その上品な味に満足である。

枝豆豆腐のジュンサイ載せというものが付いた。これまた夏、まさに夏という取り合わせだし、何よりもジュンサイは我が大好物なのである。

そして盆という事もあって「お葛かけ」が一椀付いた。豆麩、豆腐、ニンジン、シイタケ…いろいろなものが入っている。何時もよりボリュウムがあり、すっかり満腹になった。

 

 


園翁自伝(石油資源開発時代回顧録)(103)でたらめなカナダオイルサンド(4)

このカナダオイルサンドプロジェクトは3フェーズに分かれる研究プロジェクトであるが、フェーズの移行に際しては中断のオプションが可能な契約になっていた。

貯留層が一様に分布するわけでもないのだから、高温の水蒸気を圧入して”干物”のように固まった重質油に流動性を持たせて回収する生産井を掘る前に、スリムホールでもいいけれども多くの井戸を掘削して貯留層の分布を確かめなければならないなどの問題が大きな障害となるので、経済性はないと判断できた。その旨をカナダオイルサンド側に伝えてその任務は終了となった。

勿論、現在も経済性とは無関係かのようにカナダオイルサンドプロジェクトは続いている。つまり「やめた方が良い」という判断がなされなかったからである。一旦作ったら損が出ようと効果がなかろうと続けると言うのは経済産業省型プロジェクトの基本的な性質である。福島第一原発での地下水の流入防止策に、原子力規制委員会が効果など見込めないから止めなさいと言うのを聞かずに、しかも確か350億円という税金を投入して「凍土壁工法」という鹿島建設の技術を利用すべく、強引に進めたのも経済産業省ではなかったか。

オイルサンドの生産に関しては「SAGD法」という画期的な方法が開発されたが、チャンネルサンド・ポイントバーサンドの分布把握が困難な事には変わりがなかった。現実に一部地域の開発生産が中止どころか撤退になっていることからその事業性に問題があることは確かだと言えよう。「ノーと言える日本」という言葉があったが「ノーと言える石油資源開発」には到底なれないのだからカナダオイルサンドに限らず根の深い問題を抱えていると言える。

高温水蒸気を圧入し、固体状の油が流動性を持った時にはその物性の変化が地震探鉱データから捉えられるのではないかとのアイディアのもとで、物探会社の仕事づくりのような研究もなされた。しかし、そのようなことが分かったとしても、だからと言って思うように水蒸気の圧入域をコントロールできるわけでもないので、それは研究のための研究だったのであろう。

はるかに効率が良いシェールオイルの開発法が登場してオイルサンド事業は尚更前途が見えないものになっているようである。

最後に一言。オイルサンドというのは本来露天掘りで、オイルサンドをパワーシャベルで掘り、ブルドーザーでかき集め、それを熱処理して油と砂に分離するものだったのである。流動性がある石油やガスだからこそ坑井というパイプで生産させ得るのである。同様に海底下で固体であるメタンハイドレートからメタンガスを坑井で採収しようとするメタンハイドレートプロジェクトはオイルサンドの二の舞のようにも見えるのだが。鉱床学や採鉱學の基本が忘れられているようである。このようなプロジェクトで食っていく“ムラ”が成立しているから始末が悪い。

(広瀬川の河原の縄文時代の磐座を思い起こさせる配石。縄文DNAの継承?!)

 


米国の攻撃は遠くはないのでは

米朝の緊張が高まっている。米国による北朝鮮への軍事行動があるかについて様々なことが語られるのであるが、作戦上の駆け引きもあり両政府の発言を文字通りにとって評価することは判断を誤る結果となる。歴史への態度と同様に、何でも「逆説」では真実から遠ざかるであろうし「ナナメ読み」では重要なことを見落とすだろう。

さて、北朝鮮は圧力をかければ核開発を放棄するだろうか。答えは「否」だ。彼らは核兵器保有が大国に対して互角に対するための唯一の手段だと信じているのだ。そしてその判断は普遍的に正しいものだろう。現実に世界は核兵器保有国によって支配されていると言ってよい状態だからである。

そして、いったん核兵器を保有してしまえば、核保有国として扱われると言う前例を既にインド、パキスタンの場合で示してしまっているのである。故に、北朝鮮が核保有国として認められることになれば、北朝鮮がインド、パキスタンの例から学習した、「核兵器さえ持ってしまえば」との思いは一気に多くの弱小国に広まることだろう。

かつて北朝鮮の核開発を止める為に6カ国協議というものがあり、軽水炉型原子力発電所を供与するから核開発を止めなさい、というような、言わば飴を与えてなだめる様な愚策を取った時代があった。結果的に時間稼ぎをされただけで北朝鮮は核開発を継続していたのである。

韓国の慰安婦問題を見よ、徴用工問題を見よ。請求権を放棄した後でもいつまでも、補償を要求し続けるさまを見れば、もとより約束など守る民族ではないことが分かろう。それは新羅の時代から変わらぬ民族的性質のように見える。韓国と北朝鮮は同一民族なのである。核開発を止めますと”約束”しても守る可能性は極めて低い。

核抑止力なるものがある。核兵器による相手国への報復能力があるからこそのものだ。今まで米国を直接核攻撃できる能力がなかった段階での北朝鮮の核の政治的効果は韓国、日本そしてあまり語られないが中国に対するものに限られていた。しかし昨今のミサイル発射実験に見るように北朝鮮はICBMを保有するに至った。まだ核弾頭の搭載は完成していないようだとの報道がなされるのだが、核弾頭搭載のICBMが実戦配備された時には北朝鮮は米国に対して核抑止力を持つ。すなわち米国と雖もうかつには軍事攻撃はおろか、強硬な態度にすら出られなくなるのである。

そう考えれば、米国が北朝鮮に対して軍事行動がとれる期間は、核弾頭搭載のICBMが完成するまでのわずかな期間しか残されていないことになる。従って近い将来に軍事行動があると推測するのだ。

もし、核弾頭搭載のICBMが完成されてしまえば、米国と雖も手が出せなくなるだけでなく、核の恫喝の前に韓国は北朝鮮の植民地になりかねず、さらには日本の存立も危うくなるだろう。日本も米国も重大な岐路に立っている。

この様な時代、時期に当り、友人に権力を使って利益誘導をしたり、国防よりファッションを気にするような不適格者を防衛大臣に任ずるような愚かな政権であってはならないのである。頭に血が上り、興奮して我を忘れるようなものをトップにしてはならないのである。常に冷静に、全体を見、私利私欲を捨てて対処できる人物が必要なのだ。一般的に立候補するものにはそれなりの欲があるものだ。そう言うポジションには就きたくないというものの中にこそ適材は存在するのである。救国の逸材を探し出さなくてはならない。国家の存立を”同盟国”と言う名の他国に実質的に委ねていてはならないのではないか。

 


毎日新聞が掲載した「シェールガス採掘の掘削機」の写真は間違いだろう

8月14日早朝、ネットニュースを見ていたら毎日新聞の「米南部:ガス採掘地で地震多発 規制緩和し増産」という見出しの記事があった。内容はトランプ政権になってからシェールガスの開発がぐっと盛んになった、採掘に関連する地震が多発していると言ったものなのだが、そこの掲載されている写真に注目である。

写真のキャプションは「シェールガスを採掘する掘削機=米南部オクラホマ州スティルウォーター郊外で、國枝すみれ撮影」とある。ど素人ならともかく、少しでも石油産業の知識がある者ならこの写真の“掘削機”とされたものが掘削機などではないことを知っている筈である。櫓(リグ)のない装置では坑井掘削など出来まいに。これは油層圧力が低くて自噴能力を持たない油層から石油をくみ上げるためのポンピング生産設備(通称”ツル首“)である。掘削機ではないばかりか、シェールガスにも全く関係ないものだ。

いくら新聞記者が無知でも使用する写真の内容とその説明文が一致しているか否かくらいは確かめるべきではないか。毎日新聞に校閲はいないのか。勿論こんな間違いは校閲がかかわる問題ではないのだが。余りのお粗末さにあきれたので一応指摘した。

と、ここまで書いて、知らせた方が良いかなと思い、毎日新聞に電話した。電話番号も教えたが、その後何の音沙汰もない。「毎日の嘘」を指摘されても単に無視するとは、厚顔な新聞社ではないか。正しい報道こそが新聞の使命だと思うのだが。

写真を示そうと思って用意したのだが、著作権の問題が面倒なので残念ながら掲載は控えた。

 


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